メル・ギブソン10年振りの監督作品、ということよりも、この映画が彼のデビュー作であるピーター・ウイアー監督の『誓い』を思い出させることに驚いた。戦場を舞台にして、伝書鳩のように走り続けた彼の姿が今回の映画の主人公の姿と重なり合う。アンドリュー・ガーフィルドの無邪気そうな顔と、あの時のメル・ギブソン。(不安があったのでちょっと調べたら『マッドマックス』の方が少し先だった。でも、僕の中では『ガリポリ』のほうが印象的だった)
すさまじい殺戮シーンには目を覆いたくなる。これが戦場の真実だ、とか、そんなことが言いたいわけではない。だが、メル・ギブソンは一切手を抜かない。見世物ではなく、本当の姿を見せるためか。そんな地獄の中、彼はただひたすら負傷兵を救い続ける。スーパーマンのように彼だけは死なない。とんでもない状況の中で、もうひとり、もうひとりと助ける。あり得ない行為だ。実話だと言われても、それはないわ、と思う。眉唾だ、といいたいわけではない。脚色しているとしても、構わない。こういう崇高な行為を描くことがこの映画だ。
戦場に行くまでの描写がもうそれだけで、あり得ないから、そこからさらに突き抜けるなら、こういうことになるしかあるまい。奇跡の行為は、生きるとは何なのか、という究極の問題へと突き進む。戦場で銃を取らない兵士、という選択。衛生兵を志願したけど、銃を取る訓練は避けられない。彼はたとえ訓練であろうとも銃は手にしない。その軍の風紀を乱す行為は、軍法会議になる。牢屋に閉じ込められても彼の決意は揺るがない。誰もが頭がおかしいのではないか、と非難する。臆病者のレッテルを貼ることでなんとか、納得しようとする。だが、そうではない。彼の鉄の意志は周囲の仲間にとって恐怖だ。だからリンチする。彼をここから追い出すためだ。だが、彼は逃げない。
何がそこまでさせるのか。(なぜ、彼は戦場に行ったか。そこで何を見、何を思ったか、という問題も含めて)映画はその一点に集約される。アンドリュー・ガーフィルドの前作『沈黙』にも通じる。(だが、あの映画では彼は意志を曲げた)神の意志、ではない。汝殺すことなかれ、を守り抜く、というのでもない。なんだか、わけのわからないものが、そこにはあり、驚く。彼の軍での仲間たちも同じ思いだったのだろう。上官たちも同じだ。戦場は人が人を殺し合う。そんな場所にいて自分だけは、殺さない、死なさない、なんてきれいごとでしかない。だが、それを貫いた先には何があったのか。崇高なドラマではない。残酷で気分が悪くなるような映画だ。凄まじい殺戮の嵐に飲み込まれて、圧倒されるからだ。それなのに、この映画は今まで戦争映画が描けなかったものを、初めて描き切れた。英雄を描いたわけではない。わけのわからないものがここにはある。メル・ギブソン渾身に一撃にノックアウトされる。