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映画・演劇のレビュー

不透明『愛と混在』

2017-12-24 21:47:00 | 演劇

 

劇団不透明の旗揚げ公演。作、演出の河上和紀さんは確かなビジョンを持ち、こういう芝居を作る。あざといけど、嫌いじゃない。これは、ちょっとトンがった10代なら必ず通る道だ。自らの方法論に酔う。普通じゃないことをしたいと思う。誰もやらないようなことを。(でも、もうみんなやってるけど。)

 

寺山修司の時代なら、恥ずかしくて出来ないけど、今は誰もあまりこういうのはやらないから、新鮮なのかもしれない。実験演劇、なんて感じか? もうそんな恥ずかしいネーミングは誰もしないだろうけど。

 

100万円を拾う。家に持って帰る。ドキドキする。しかも、その百万円が女だったりする。文字通り、女が演じる。100万円を、である。でも、彼女は100万円としての芝居をするわけではない。だから、女を家に連れ込む、という図式のお話が展開する。

 

当然、恋人は怒り狂う。他の女を自分たちの家に入れていい、はずもない。しかも、彼女の居ない間に。それって、ただの浮気じゃん。

 

登場人物は6人。2人の男は表裏一体で、パンフにはそのうちのひとりの役名が「寄生虫」なんていうふうに書かれてある。(河上が演じる)4人の女たちの関係も入れ換え可能。記号として機能する。

 

タイトル通り、「愛」についてのお話だ。それと、そこに「混在」するモノを描く。愛と混在は等価ではなく、愛のなかに混在していく、なんてことが、確か当日パンフに書かれてあった(ような気がする)。いつものように手元に資料がないから正確ではないけど。

 

白いロープを使う簡単な舞台装置が効果的だ。この象徴的な空間をシンプルに造形している。これは、難しい芝居ではない。でも、絡み合うと難しいものにもなる。それが愛なのだろう。そのへんをちゃんと象徴する。

 

芝居は何度となく中断される。演出家の男によって。(この役を河上が演じるはずもない。もうひとりの男が演じる)それもまた、自分たちのスタイルなのか。それが「何か」につながらないから、ただのあざとさにしか見えない。何も感じさせないのがつらい。方法論がテーマとつながると、芝居はもっと面白くなるはず。

 

たとえば、冒頭の静止したままで、何も起こらないシーンなんてかなりあざとい。ちょっとイライラするほどに。せめて男が瞬きもしなかったなら、よかったのだけど、微妙に動くからライブなのに静止画像にならない。(杜撰だ。)この掴みの部分で失敗しているから、最初は大丈夫か、と心配になったけど、徐々に自分たちのペースを作れてきて、安心して楽しめる舞台に仕上がった。

 

ポーカーフェイスの男たち。感情を出したり、引っ込めたりする女たち。全体のバランスも悪くないから、90分飽きささない。やりたい放題して、芝居を楽しんでいる。ここに、一抹の恐さでもあればもっとよくなったと思うのだが、少し残念。

 


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