まず最初にオブジェがある。この美術作品が、最初にあり、この空間で演じられる、というのがおもしろい。作品のタイトルは『ビューティフル ライフ』。
演劇やダンスに奉仕する舞台美術ではなく、、まずインスタレーションありきなのである。そこに役者(あるいはパフォーマー)を配して、その空間(作品)を使ったパフォーマンスを展開していく。もちろんスエモトタモツさんはいつもj.a.m.Dance Theatreの公演の舞台美術を担当しているのだから、これは異業種対決ではなく、いつものj.a.m.Dance Theatreの公演と変わらないかもしれない。だが、コンセプトが変わると、いつもとはすこし違うものを現出させることになった。
パフォーマーと舞台美術が拮抗するのが、この集団のいつもの特徴なのだが、今回は当然ながら、まず、スエモトさんのインスタレーションが前面に出ている。舞台中央、巨大な樹がある。その先は、上部で一つになり、さらに大きく広がり、傘のような状態を作る。全体はきのこのようなデザインだ。透明なチューブで作られており、くらげにも似ている。
その傘の中で、2人の男が、踊る。中央の樹の中には、椅子の上に女が立っている。彼女はそこから出ることはない。透明な樹の中で彼女は悶える。男たちは待ち続ける。そして、疲れ果てて、眠りについた時、女は、そこから顔を出す。
女の顔は最後の場面まで見えない。長い髪に隠れたままだからだ。(ほとんど『リング』の貞子である。)ラストで、初めて髪の間から顔をのぞかせる。
これは、生命の樹、そこから誕生してくる、というイメージを綴って見せた作品として理解していいだろう。(間違えていたらごめんなさい!)ダンサーたちはあくまでもこの空間美術に奉仕する。そうすることで作品がひとつの完結を見せる。これもひとつの試みだ。バランスを少し変えただけで、いつもの表現が微妙な変貌を遂げてゆく。透明なチューブを束ねて作られたこの空間は生命の象徴であり、大きな傘の中で、女を待ち続ける男たちの祈りがひとつの奇跡を呼び起こす。とても気持ちのいい中篇作品だった。(これが、もし長編だったなら、このバランスは生まれない)
演劇やダンスに奉仕する舞台美術ではなく、、まずインスタレーションありきなのである。そこに役者(あるいはパフォーマー)を配して、その空間(作品)を使ったパフォーマンスを展開していく。もちろんスエモトタモツさんはいつもj.a.m.Dance Theatreの公演の舞台美術を担当しているのだから、これは異業種対決ではなく、いつものj.a.m.Dance Theatreの公演と変わらないかもしれない。だが、コンセプトが変わると、いつもとはすこし違うものを現出させることになった。
パフォーマーと舞台美術が拮抗するのが、この集団のいつもの特徴なのだが、今回は当然ながら、まず、スエモトさんのインスタレーションが前面に出ている。舞台中央、巨大な樹がある。その先は、上部で一つになり、さらに大きく広がり、傘のような状態を作る。全体はきのこのようなデザインだ。透明なチューブで作られており、くらげにも似ている。
その傘の中で、2人の男が、踊る。中央の樹の中には、椅子の上に女が立っている。彼女はそこから出ることはない。透明な樹の中で彼女は悶える。男たちは待ち続ける。そして、疲れ果てて、眠りについた時、女は、そこから顔を出す。
女の顔は最後の場面まで見えない。長い髪に隠れたままだからだ。(ほとんど『リング』の貞子である。)ラストで、初めて髪の間から顔をのぞかせる。
これは、生命の樹、そこから誕生してくる、というイメージを綴って見せた作品として理解していいだろう。(間違えていたらごめんなさい!)ダンサーたちはあくまでもこの空間美術に奉仕する。そうすることで作品がひとつの完結を見せる。これもひとつの試みだ。バランスを少し変えただけで、いつもの表現が微妙な変貌を遂げてゆく。透明なチューブを束ねて作られたこの空間は生命の象徴であり、大きな傘の中で、女を待ち続ける男たちの祈りがひとつの奇跡を呼び起こす。とても気持ちのいい中篇作品だった。(これが、もし長編だったなら、このバランスは生まれない)