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映画・演劇のレビュー

『孔雀 我が家の風景』

2007-05-24 19:12:04 | 映画
 ホウ・シャオシェンの『童年往事』に匹敵する傑作がガーデンシネマでひっそり公開されている。たった二週間、モーニングショーのみの上映である。クー・チャンウェイ初監督作品。これは必ず今年のベスト・ワンになるはずである。よく似たタイプの昨年公開された『胡同のひまわり』には、がっかりさせられたが、こちらは本物である。

 文革が終わった77年を舞台にして、ある家族の姿を、一見感傷的に描くように見せて(映画は、「あの頃は家族がいつも一緒だった」なんてナレーションで始まる)、実は淡々としたタッチで手厳しい現実を追いながら見せていく語り口は見事としか言いようがない。クー・チャンウェイの人間観察の鋭さは、他の追随を許さない。この映画には、チャン・イーモウ、ジャン・ウエン、そしてチェン・カイコーといった錚々たる大監督たちをカメラマンとして支えてきた彼の本領が如何なく発揮されてある。

 とんでもない自己中の姉の話からスタートして、次に知的障害を持つ兄の話を描き、語り手である弟の話へとつながっていく3つのエピソードからなるオムニバススタイルを取るが、3話は互いに共鳴し、1本の家族の物語を形作る。主人公は変われど、その中で、時代が流れ、77年から84年までの家族の歴史が綴られるのだ。

 姉の話を見ながら、こいつは一体どこまで頑固なのだろうか、とあきれさせられた。心を深く閉ざして、自分の本心を見せない。納得のいかない仕事は真面目にしない。(保育所で、赤ちゃんを落とすエピソードには驚かされた。)落下傘部隊とであい、入隊を希望するが、叶わず、自分の自転車の後ろにオリジナルの水色の落下傘をつけて街中を走る。彼女の抑圧された想いが迸る素晴らしいシーンだ。人の目なんて気にせず全力で自転車を漕ぎ、、風を受けた青いパラシュートが風に舞う。といってもそれはせいぜい地面から1mくらいの飛翔であるが、それが感動的に描かれる。彼女の中の鬱屈が危ないバランスのまま解き放たれる。

 このエピソードのラスト。突然彼女は結婚を口にする。その唐突さに驚く。彼女は何かを諦める。決してこの結婚は彼女を幸せにしないことは明らかだ。いくら相手の男が素朴で優しそうな男であろうとも、である。彼女自身に問題があるからだ。「わたし結婚するから」と親に言うシーン。夫となる男とデートするシーン。本来なら幸せな場面であるはずが、この2シーンの寒々とした描写には圧倒させられる。

 この映画の魅力はこんなストーリー紹介では伝わらない。書いていてもどかしい。感情がストレートに表れる時には夢のシーンとしてそれが描かれたりもする。例えば立派な兄が学校に傘を届けに来てくれ、みんなから羨ましがられる、なんていう馬鹿げたシーンがあるのだ。知的障害の兄が傘を持ってきてとても恥ずかしい思いをした、というエピソードの後にある。この単純な描写に圧倒される。兄は痴漢と間違えられて学生たちから袋叩きにあう。その時、弟はそんな中に飛び込み、同じように兄に暴力を振るう。こういう描写のひとつひとつの重なりがこの映画を作る。

 姉と共謀して、食事中、兄に毒を飲まそうとするシーンがある。そのことを知った母が、兄の代わりに彼が可愛がっていたアヒルにそれを飲ませる。毒を飲んで苦しみながら死んでいくアヒルを延々と家族全員に見せる。ここも衝撃的だ。

 彼らをそこまで追い詰めたもの。それがこの映画の底には確かに描かれている。彼らの現実である。過激な展開は、それがいくつもの描写の積み重ねの中で確実に観客胸にも沁みていく。彼らがこの兄を嫌っているのではない。だが、彼に象徴されるものが彼らを追い詰める。だから、姉があんなにも暴力的に家を出たがった気持ちまでもがよくわかる。

 3つのエピソードは姉、兄、自分(弟)と主人公を変えながら、しっかりつながっていく。エピローグの冬の動物園のシーンまで至った時、見ていて胸が一杯になる。幸せになるってどういうことなのか。生きるって、どれほど痛みを伴うものなのか。そんなことを考えさせられることになる。

 家を出たい、とあんなに願った姉は、今も家に居て、一生親元から離れられないと思った兄は結婚して、家を出て上手くやっている。皮肉な話だ。自分もまた、優等生だったはずなのに、ドロップアウトして、家出し、なのにまた家に舞い戻ってくる。何が幸せで、何が不幸だなんて、誰にもわからない。

 中国の地方都市で暮らすどこにでもありそうな家族の、どこにもないと、本人たちが思い込んでいる不幸を描きながら、多かれ少なかれ家族とはこんなものかもしれない、なんて思う。

 構成の見事さ。描写の的確さ。全く無駄のない映像はストーリーを追うと同時に、この世界のあり方を明示してくれる。文革後の中国、混沌とした時代で、なんとかして生きていこうとした家族の苦悩の日々。これは甘く優しい映画ではない。しかし、こんなにも胸に沁みてくる。やはり優しいのだ。

 こんな家から一刻も早く抜け出して自由に生きたいと願った。世界はもっと自由で楽しく美しいものだと思う。でも、本当はそうではない。貧しいながらもテーブルを囲んでみんなで食事を食べる。映画を見終えた時、想いは、不機嫌な顔をして、黙々と食べていたあの頃、あの時に、すべてが帰っていく。

 冬の動物園。孔雀の檻の前を、3人のそれぞれの家族が横切っていく。孔雀は羽を広げない。彼らが去って、しばらくした時、ゆっくりゆっくりその美しい尾羽を広げる。観客である僕たちですら諦めたとき、孔雀はその翼を広げる。これはこの無口な映画の幕引きにふさわしい饒舌なラストだ。

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