スタジオガリバーの小空間を横長に使うというパターンは今までも結構よくやっていることなのだが、今回は今までで一番上手く使えてある。普段の舞台側にもセットを組んでいる。そこにはちゃんとカウンターもある。とてもシンプルなのに、丁寧に作られた舞台美術との相乗効果だ。
実際のメーンのアクティングエリアは、横長の空間にあるテーブルと2脚の椅子の部分だけ。奥はほとんど使わない。マスター(南田吉信)が静かにそこにいて、客たちの話に耳を傾けているのやら、何もしていないのやらで、ぼんやりしているだけ。
結果的にこの狭い空間がとても豊かな場所になった。それはこの「純喫茶」という名の魅力的な喫茶店そのものを体現している。役者たちが「ここはとても素敵なお店ですね」と口々に言うのだが、口先だけでそんなことを言われてもそこにはなんのリアルもないはずなのだが、この空間を見れば納得がいくようになっている。もちろん、舞台美術だけではなく、役者たちが魅力的だからこそ、「素敵な喫茶店」という設定がリアリティーを持つのだが。
そんな役者陣とスタッフワークに支えられて作、演出を担当した南陽子さんは、今までで一番優れた仕事(僕が見てきた範囲内だが、たぶん)を成し遂げることが可能となった。4話からなるオムニバススタイルのこの長編作品は、各エピソードがよくできているので、1話完結短編としても優れているけど、それらがきちんと有機的結合をなすことで、短編連作ではなく、1本の長編作品として、とても幸福なものに仕上がった。
各エピソードはほんのちょっと長すぎて、もう少し前で終わった方がスマートに見えるのだが、わかっていて敢えてきちんと結末までを見せる。泥臭くなるのは承知の上で、最後まで言い切ってしまう。そのすべてを語り尽くさなくてはエピソードを終わらせないという姿勢は、見ているうちに徐々に心地のよいものになるから、不思議だ。
優しい空間に包まれて、このハートウォーミングはただの甘いだけの話ではなく、人と人とが信じあえることの幸福を確かに伝えてくれた。不器用な男女が心を通い合わせる瞬間の感動が胸に沁みる。
実際のメーンのアクティングエリアは、横長の空間にあるテーブルと2脚の椅子の部分だけ。奥はほとんど使わない。マスター(南田吉信)が静かにそこにいて、客たちの話に耳を傾けているのやら、何もしていないのやらで、ぼんやりしているだけ。
結果的にこの狭い空間がとても豊かな場所になった。それはこの「純喫茶」という名の魅力的な喫茶店そのものを体現している。役者たちが「ここはとても素敵なお店ですね」と口々に言うのだが、口先だけでそんなことを言われてもそこにはなんのリアルもないはずなのだが、この空間を見れば納得がいくようになっている。もちろん、舞台美術だけではなく、役者たちが魅力的だからこそ、「素敵な喫茶店」という設定がリアリティーを持つのだが。
そんな役者陣とスタッフワークに支えられて作、演出を担当した南陽子さんは、今までで一番優れた仕事(僕が見てきた範囲内だが、たぶん)を成し遂げることが可能となった。4話からなるオムニバススタイルのこの長編作品は、各エピソードがよくできているので、1話完結短編としても優れているけど、それらがきちんと有機的結合をなすことで、短編連作ではなく、1本の長編作品として、とても幸福なものに仕上がった。
各エピソードはほんのちょっと長すぎて、もう少し前で終わった方がスマートに見えるのだが、わかっていて敢えてきちんと結末までを見せる。泥臭くなるのは承知の上で、最後まで言い切ってしまう。そのすべてを語り尽くさなくてはエピソードを終わらせないという姿勢は、見ているうちに徐々に心地のよいものになるから、不思議だ。
優しい空間に包まれて、このハートウォーミングはただの甘いだけの話ではなく、人と人とが信じあえることの幸福を確かに伝えてくれた。不器用な男女が心を通い合わせる瞬間の感動が胸に沁みる。