昨年の落語家のお話に続いて、今回は活動屋(映画のこと、ね)のお話。久々になるげんだつば脚本作品だけど、彼の個性よりも、前作の雰囲気を引き継ぐ感じのほうが前面に出ていて、そこに今の劇団のスタンスすら感じさせられた。戦時中を舞台にした前作に続いて、今回は戦後を舞台にする。どちらも、「戦争」が背後に大きく影響する。GHQによる検閲問題も盛り込みながら、全体は重くならず、ちょっとしたコメディ仕立て。メインのテーマは、みんなで何かをやることの楽しさ。単純だけど、納得。
「せすん」が、みんなで芝居をする集団である、という当たり前のこととリンクする。それは職場演劇サークルとしてスタートしたこの集団の在り方とも連動する。一番大切なことは、「表現」よりも「集団」という姿勢。それはこの作品にも明確だ。映画を作ることにおいて、映画が芸術であり、表現の手段であるよりも、みんなで作ることのほうが大事で、ここで監督は、作家ではなく、なんとなく、任されたからその役割をしているだけ、という立ち位置。そこがとても面白い。よくぞこんなにも、自己主張しないし、存在感のない映画監督に彼を設定したものだ。
作りたい映画がある、のではない。映画が作りたいのだ。みんなでうだうだ集まり、映画したいよなぁ、といつまでも、たまっている。でも、お金ないしなぁ、とか。そんな時間と、場所を描いた。ただ、それだけの芝居。でも、なんだか、それはそれで潔い気がした。「せすん」らしい。