きづがわ創立50周年記念公演の第二弾。とても力のこもった作品だ。ダイキンによる大量解雇を扱い今彼らが置かれている現状をドキュメントする。ノンフィクションであるということより、リアルタイムの現在進行形の実情を丁寧に伝えることを第一とする。これは他人事ではなく、我々の置かれた問題なのだ。ダイキンだけでなく、こういう理不尽が日本中でまかり通っている。弱者は泣き寝入りするしかない。だが、ただ言われるままそれを受け入れて企業の横暴を許すわけにはいかない。怒りの矛先をきちんと自分たちを蔑にするものへ向け、戦う。この芝居はたった4人でダイキン相手に抵抗する彼らと彼らを支援する人たちの姿を描く。
まず事実をちゃんと伝えることを旨とする。そういう姿勢は大事だ。怒りをぶつけるためには、状況を伝えなくては始まらない。順を追って丁寧に彼らの置かれた状況を見せていく。そして彼らが戦いに至った過程を見せる。できるだけたくさんの事実を見せたいから、どうしてもシーンは細切れになるし、客観的な描写をするために、敢えて必要以上の感情移入をさせないような見せ方になるのは賢明な判断だ。群像劇にして、ことさら4人に絞り込まないのもいい。だが、その結果芝居としては面白みに欠けるものになったのも事実だ。だが、演出の林田さんはそんなことにこだわらない。エンタメ芝居ではないのだから、僕たちが知らないこの事実を伝えられたなら使命は全うする。それくらいの覚悟のもと、芝居は作られている。重くてつらい芝居である。だが、ここから目をそむけない。観客にもそれくらいの覚悟を強いる。
これは感動的なドラマを見せるための芝居なのではないのだ。この芝居自体がひとつの戦いなのである。今も続く彼らの戦いを支援するための方法としての演劇である。2012年11月1日大阪地方裁判所での判決(敗訴)のシーンからスタートするのもこの作品の意図を正確に伝える。それは終わりではない。新たなる戦いの始まりなのだ。
芝居の最後に実際の4人が舞台にあがる。今まで見てきた物語が現実のものだということを改めて実感させられる瞬間だ。
まず事実をちゃんと伝えることを旨とする。そういう姿勢は大事だ。怒りをぶつけるためには、状況を伝えなくては始まらない。順を追って丁寧に彼らの置かれた状況を見せていく。そして彼らが戦いに至った過程を見せる。できるだけたくさんの事実を見せたいから、どうしてもシーンは細切れになるし、客観的な描写をするために、敢えて必要以上の感情移入をさせないような見せ方になるのは賢明な判断だ。群像劇にして、ことさら4人に絞り込まないのもいい。だが、その結果芝居としては面白みに欠けるものになったのも事実だ。だが、演出の林田さんはそんなことにこだわらない。エンタメ芝居ではないのだから、僕たちが知らないこの事実を伝えられたなら使命は全うする。それくらいの覚悟のもと、芝居は作られている。重くてつらい芝居である。だが、ここから目をそむけない。観客にもそれくらいの覚悟を強いる。
これは感動的なドラマを見せるための芝居なのではないのだ。この芝居自体がひとつの戦いなのである。今も続く彼らの戦いを支援するための方法としての演劇である。2012年11月1日大阪地方裁判所での判決(敗訴)のシーンからスタートするのもこの作品の意図を正確に伝える。それは終わりではない。新たなる戦いの始まりなのだ。
芝居の最後に実際の4人が舞台にあがる。今まで見てきた物語が現実のものだということを改めて実感させられる瞬間だ。