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映画・演劇のレビュー

『聖の青春』

2016-12-03 15:08:04 | 映画
この単純なタイトルそのままで、とてもシンプルな映画だ。主人公の聖(松山ケンイチ)が、ただ、将棋をするだけの映画。病気に蝕まれて、あとわずかな命しかない。文字通り身を削り、羽生名人(東出昌大)に挑む3度の戦いが描かれる。2度目の戦いがクライマックスなのだが、そこで終わらないのがこの映画の身上。クライマックスの戦いが映画の後半のスタートくらいに設定されてあるようなのだ。始まってまだ1時間少し(体感時間である。映画を見ながら時間を確認するなんて無作法な真似はしないから)しか経っていないのに、もうクライマックスとしか思えない展開に驚く。そして、対局の後、宴会を抜け出して、ふたりだけで飲みに行くシーンがある。実はここが映画のハイライトシーンだろう。ふたりがさしで向き合う。静かなシーンだ。聖が自分の心中を包み隠さずさらけ出す。



実は、このシーンは最後の戦いでほぼ全シーンがリピートされる。対局に場面の間に挿入されていくのだ。同じ場面を丁寧に2度も見せるところに、作者の意図を感じる。後数か月の命である聖だが、クライマックスの後もまだ人生は続く。



現実は映画のように(まぁ、これは映画だが)気持ちのいいところで終わらない。そのあとのみじめな時間もまた、人生で、それでも生きなくてはならない。余命いくばくもなく、やりたいこともやり切れず、無念の死を待つまだ20代の若者の夢。将棋しかなかったし、それだけに人生のすべてを賭けた。でも、その合間ではずっと『いたずらなキス』を読んでいた。少女漫画の世界に没入する彼の姿は痛ましい。普通の人と同じようにちゃんと青春を謳歌したかったのだ。「女の人を抱きたかったです」と生々しい告白をするシーンもある。古本屋の女の子にほのかな恋心を抱くシーンもある。でも、それ以外は、ただただ将棋を指すばかりだ。(それと、病院で過ごす時間もあるけど。それくらいに、彼の世界は狭い。)



『宇宙兄弟』の森義隆監督である。彼は今回もまた、実にシンプルな図式の映画を作る。これは前作のようなスケールの大きな大作映画ではない。だが、前作以上に完成度の高い作品に仕上がった。松山ケンイチは10キロ以上の増量に挑んだ。モデルとなった村山聖のルックスから役に入ろうとした。そこからは彼の中にある鬱屈としたものがちゃんと体現される。もちろん、松山の静の演技がそれに拍車をかける。この映画にリアリティを与える。
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