まさかここまでダメな映画だとは思いもしなかった。今の時代にこういう映画が存在することにも驚く。プログラムピクチャー全盛時代にはよくあったタイプのコメディで、70年代なら無視するだけで済んだ映画だろう。職人監督がやっつけ仕事としてこなしたような安易な企画。だが、今の時代そういうものはもう求められないし、そんな余裕はないはず。なのに、こうしてそんな映画が生まれた。まぁ、これはちょっとした奇跡なのかもしれない。
俳優として独自のスタンスを持つ陣内孝則が監督3作目にしてたどり着いた地点は、自分の中のダメな面ばかりが前面に出てしまう困った映画になった。好きなように、自由に作ると、甘えばかりが目に付く映画になってしまったのは不幸な話だ。バイプレイヤーとしてならその個性は、映画の中になんとか上手く溶け込むこともある。だが、自分が主導権を握る映画では、彼のアクの強さやケレン味は、上手く機能しないことを証明してしまった。それは映画を大仰なばかりで嘘くさいものにしてしまう。
彼の狙いがとことん外れてしまい、空回りしていくさまは見ていて痛々しい。なんとか、役者の力でギリギリ成立しているエピソードもあるが、(中井貴一が、達観したようなすっとぼけた芝居で魅せる第3話)それ以外は全滅。徹底的に外しまくった。特にまるで役者に力がない2話、5話は悲惨だ。(しかも、このふたつだけ主役は同じふたり)
全体的に台本がよくない。(あの『桐島、部活やめるてよ』の喜安浩平なのに!)ワン・シチュエーションで、ひとつのセットだけ、そこから基本は出ない、という設定や、写真をお話の中心に据える、というドラマ上の仕掛けがまるで生かされていない。それはただのお約束にしかならないのだ。全体がなんだか狭苦しくて、映画としての広がりがまるでない。せっかくの仕掛けが足を引っ張る。
ラストの「結婚式」のエピソードの滑り方は無残だ。あれなら、こじんまりしたまま4話で90分強の映画として、静かに終わりにしていたほうがまだ傷は浅かった。なのに、無意味にちょっとお金を浪費して豪華な結婚式を作って派手なエンディングを披露する。その結果最悪の事態を招く。こういう映画を作らせるTV朝日も罪だが、せっかくのチャンスをここまで潰した陣内監督が悲しい。
ありがちな話を納得と共感で見せ、そこになんらかの新鮮な発見を提示できなくては、意味がない。葬式から始まり、人生の節目となるエピソードを並べ、そこから僕たちの日常をもう一度見つめ直し、そこに何らかの意味を見いだせたなら、これはこれでなんとか成功したはずなのだ。
俳優として独自のスタンスを持つ陣内孝則が監督3作目にしてたどり着いた地点は、自分の中のダメな面ばかりが前面に出てしまう困った映画になった。好きなように、自由に作ると、甘えばかりが目に付く映画になってしまったのは不幸な話だ。バイプレイヤーとしてならその個性は、映画の中になんとか上手く溶け込むこともある。だが、自分が主導権を握る映画では、彼のアクの強さやケレン味は、上手く機能しないことを証明してしまった。それは映画を大仰なばかりで嘘くさいものにしてしまう。
彼の狙いがとことん外れてしまい、空回りしていくさまは見ていて痛々しい。なんとか、役者の力でギリギリ成立しているエピソードもあるが、(中井貴一が、達観したようなすっとぼけた芝居で魅せる第3話)それ以外は全滅。徹底的に外しまくった。特にまるで役者に力がない2話、5話は悲惨だ。(しかも、このふたつだけ主役は同じふたり)
全体的に台本がよくない。(あの『桐島、部活やめるてよ』の喜安浩平なのに!)ワン・シチュエーションで、ひとつのセットだけ、そこから基本は出ない、という設定や、写真をお話の中心に据える、というドラマ上の仕掛けがまるで生かされていない。それはただのお約束にしかならないのだ。全体がなんだか狭苦しくて、映画としての広がりがまるでない。せっかくの仕掛けが足を引っ張る。
ラストの「結婚式」のエピソードの滑り方は無残だ。あれなら、こじんまりしたまま4話で90分強の映画として、静かに終わりにしていたほうがまだ傷は浅かった。なのに、無意味にちょっとお金を浪費して豪華な結婚式を作って派手なエンディングを披露する。その結果最悪の事態を招く。こういう映画を作らせるTV朝日も罪だが、せっかくのチャンスをここまで潰した陣内監督が悲しい。
ありがちな話を納得と共感で見せ、そこになんらかの新鮮な発見を提示できなくては、意味がない。葬式から始まり、人生の節目となるエピソードを並べ、そこから僕たちの日常をもう一度見つめ直し、そこに何らかの意味を見いだせたなら、これはこれでなんとか成功したはずなのだ。