見逃していた今年公開された映画からまた1作思いがけない拾い物を発見した。ラッセ。ハルストレムの新作である。というか未公開だった旧作だ。こんなにも面白い映画が今の日本ではなかなか劇場公開が難しい。公開されても単館で一瞬で消えて行く。なんだか惨い話だ。
それにしても最近の彼はなんでもありである。彼がこんなにも器用な人だったとは、知らなかった。僕は『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』を初めて見たときの衝撃が、今も忘れられない。あれは僕にとって生涯の1本だ。だから、今もハルストレムと言えば、あの映画を思い出す。だが、彼はその後も結構たくさんの映画を作っているのだ。しかも、そのどれもおもしろいのだから、文句のつけようがない。(だいたい、文句なんかないし)
今回は稀代の天才詐欺師と世紀の大富豪とのお話である。1971年を舞台にした実話の映画化らしい。こんなとんでもないことが、アメリカではある。なんか凄いと思う。騙される方も大概だが、こんなにも凄い詐欺行為をやらかす方も凄い。これは謎の大富豪ハワード・ヒューズの自伝を捏造しょうとする男の話だ。
リチャード・ギアが『HACHI 約束の犬』に続いて主役を演じる。(というか、日本での公開が後先になっただけで、こちらの方が先に作られたようだ)余談だが、あのハチ公を描いた映画もすごかった。あんな題材をアメリカ映画として作ったのに、見事泣かせるし、それだけではなく、映画としての完成度も高い。
見たとき驚いた。最初はいくらなんでもこの題材はないだろ、と思ったが、避けず、見てよかったと思った。大体、ハルストレムで犬の映画なんていう冗談のような組み合わせである。見る前は、なんかバカにされた気がした。ふざけていると思ったのだ。だが、食わず嫌いはよくない。
ヒューズの伝記を書くというホラからスタートして、その妄想をどんどん膨らませていく。だんだんどこまでが本当でどこからが妄想なのかの区別もつかなくなる。そのエスカレートぶりを、実にリアルにみせてくれる。自分の妄想に嵌り込み現実と虚構の境目がなくなる。そんな中でとり憑かれたようにヒューズと自分のドラマを作り続ける主人公の狂気と、その架空の伝記を見事に現実のものとして売りさばく冷静さ。人筋縄ではいかないこの男の綱渡りから目が離せない。妄想が現実に一瞬追いつく。その奇跡の瞬間を見逃すな。
それにしても最近の彼はなんでもありである。彼がこんなにも器用な人だったとは、知らなかった。僕は『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』を初めて見たときの衝撃が、今も忘れられない。あれは僕にとって生涯の1本だ。だから、今もハルストレムと言えば、あの映画を思い出す。だが、彼はその後も結構たくさんの映画を作っているのだ。しかも、そのどれもおもしろいのだから、文句のつけようがない。(だいたい、文句なんかないし)
今回は稀代の天才詐欺師と世紀の大富豪とのお話である。1971年を舞台にした実話の映画化らしい。こんなとんでもないことが、アメリカではある。なんか凄いと思う。騙される方も大概だが、こんなにも凄い詐欺行為をやらかす方も凄い。これは謎の大富豪ハワード・ヒューズの自伝を捏造しょうとする男の話だ。
リチャード・ギアが『HACHI 約束の犬』に続いて主役を演じる。(というか、日本での公開が後先になっただけで、こちらの方が先に作られたようだ)余談だが、あのハチ公を描いた映画もすごかった。あんな題材をアメリカ映画として作ったのに、見事泣かせるし、それだけではなく、映画としての完成度も高い。
見たとき驚いた。最初はいくらなんでもこの題材はないだろ、と思ったが、避けず、見てよかったと思った。大体、ハルストレムで犬の映画なんていう冗談のような組み合わせである。見る前は、なんかバカにされた気がした。ふざけていると思ったのだ。だが、食わず嫌いはよくない。
ヒューズの伝記を書くというホラからスタートして、その妄想をどんどん膨らませていく。だんだんどこまでが本当でどこからが妄想なのかの区別もつかなくなる。そのエスカレートぶりを、実にリアルにみせてくれる。自分の妄想に嵌り込み現実と虚構の境目がなくなる。そんな中でとり憑かれたようにヒューズと自分のドラマを作り続ける主人公の狂気と、その架空の伝記を見事に現実のものとして売りさばく冷静さ。人筋縄ではいかないこの男の綱渡りから目が離せない。妄想が現実に一瞬追いつく。その奇跡の瞬間を見逃すな。