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寺山修司の初期中篇作品の上演。40年の歳月を経て太陽族の岩崎さんの手で蘇ったこの作品は、寺山がその劇世界を確立する以前の習作的作品。それを岩崎さんが新しいコンセプトのもとに再構成して、とても初々しい作品として舞台化した。
この芝居では今から20年前に死んでしまった大山デブコ(篠原裕紀子さんが演じる!)はバブルの象徴として描かれ、金満ニッポンのツケを彼女が払わされることになった、という設定のもと、芝居は作られる。
オリジナルをリライトすることなく、そのまま使いながら、別の解釈を施していくという岩崎さんのやり方は新鮮である。彼の鋭い視点と、その遊び心がこの古い作品をとても見やすくて新しい作品にした。寺山戯曲は寺山修司が演出することを前提にして書かれてあるものが多く(そんなこと作、演出を兼ねることが定番の日本では当然のことなのかも知れないが。とはいえ初期の寺山作品は東由多加が演出してたりするからややこしい。)彼独自の世界観を踏襲することなく舞台化することは困難である。正直言うと、視覚化される以前の台本自体を読んでもあまりおもしろくないものがほとんどなので、寺山ファンのくせに僕はあまり熱心に戯曲を読んだことがない。
後期の作品は特に彼のイマジュネーションなくしては成立しないものがほとんどなので、岩崎さんが今回まだ寺山自身が芝居というものに対してアマチュアとして接していた若書きの初期作品に目を付けたのは正解だ。芝居については子供である寺山を大人の岩崎さんが余裕のスタンスで演出していく。それは驕りではなく、今、寺山を舞台化するために彼が見つけた唯一の可能性の問題なのである。
佐藤さんの『レミング』同様メインキャストには太陽族の役者を配して、オーデション組の若い役者達をそこに上手く嵌め込んで全体のバランスをとっているが、佐藤さんがドラマの核心部分を譲らなかったのに対して、岩崎さんはドラマの周辺部分をしっかり固めていこうとする。若い役者にストーリーテラーとなる部分を委ね、太陽族のメンバーはそのサポートに回る。その結果太陽族の作品というカラーをあまり感じさせないものとなった。そのへんも岩崎さんの狙いである。佐藤さんの『レミング』があくまでもレプリカントの作品に近いものに仕上がったのとは、全く違うアプローチをする。
どちらがいいとか悪いとか、そういう問題ではない。どんな風にして、自分なりに寺山修司を料理するか、という取り組みの問題なのである。今回3人のシェフはそれぞれ偶然だろうが3人とも全く違うアプローチを見せてくれたのが嬉しい。
最近の岩崎さんお得意の音楽劇としての要素もしっかり盛り込みながら、この1時間ほどのささやかな寺山カーニバルは見事に幕を閉じていく。等身大の社会派太陽族らしい切り口を見せながらも、寺山らしい見世物小屋的な祝祭空間をしっかり踏まえたとても楽しい作品に仕上がっている。
この芝居では今から20年前に死んでしまった大山デブコ(篠原裕紀子さんが演じる!)はバブルの象徴として描かれ、金満ニッポンのツケを彼女が払わされることになった、という設定のもと、芝居は作られる。
オリジナルをリライトすることなく、そのまま使いながら、別の解釈を施していくという岩崎さんのやり方は新鮮である。彼の鋭い視点と、その遊び心がこの古い作品をとても見やすくて新しい作品にした。寺山戯曲は寺山修司が演出することを前提にして書かれてあるものが多く(そんなこと作、演出を兼ねることが定番の日本では当然のことなのかも知れないが。とはいえ初期の寺山作品は東由多加が演出してたりするからややこしい。)彼独自の世界観を踏襲することなく舞台化することは困難である。正直言うと、視覚化される以前の台本自体を読んでもあまりおもしろくないものがほとんどなので、寺山ファンのくせに僕はあまり熱心に戯曲を読んだことがない。
後期の作品は特に彼のイマジュネーションなくしては成立しないものがほとんどなので、岩崎さんが今回まだ寺山自身が芝居というものに対してアマチュアとして接していた若書きの初期作品に目を付けたのは正解だ。芝居については子供である寺山を大人の岩崎さんが余裕のスタンスで演出していく。それは驕りではなく、今、寺山を舞台化するために彼が見つけた唯一の可能性の問題なのである。
佐藤さんの『レミング』同様メインキャストには太陽族の役者を配して、オーデション組の若い役者達をそこに上手く嵌め込んで全体のバランスをとっているが、佐藤さんがドラマの核心部分を譲らなかったのに対して、岩崎さんはドラマの周辺部分をしっかり固めていこうとする。若い役者にストーリーテラーとなる部分を委ね、太陽族のメンバーはそのサポートに回る。その結果太陽族の作品というカラーをあまり感じさせないものとなった。そのへんも岩崎さんの狙いである。佐藤さんの『レミング』があくまでもレプリカントの作品に近いものに仕上がったのとは、全く違うアプローチをする。
どちらがいいとか悪いとか、そういう問題ではない。どんな風にして、自分なりに寺山修司を料理するか、という取り組みの問題なのである。今回3人のシェフはそれぞれ偶然だろうが3人とも全く違うアプローチを見せてくれたのが嬉しい。
最近の岩崎さんお得意の音楽劇としての要素もしっかり盛り込みながら、この1時間ほどのささやかな寺山カーニバルは見事に幕を閉じていく。等身大の社会派太陽族らしい切り口を見せながらも、寺山らしい見世物小屋的な祝祭空間をしっかり踏まえたとても楽しい作品に仕上がっている。