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1963年東京阿佐ヶ谷を舞台にして、嵐の5人を主人公に配した青春映画。犬童一心監督渾身の力作である。嵐のファンにしてみれば、これはかなり困った映画かもしれない。ここでは、彼らはかっこよく描かれていないし、お気楽な恋愛話とかもない。しかし、ここに描かれる夢を追い続けた頃の日本の姿は、夢を失ってしまった今の若い子供たちにとって、きっと《大切な何か》を感じ取ってくれるきっかけになるはずだ。
貧しいけれど、頑なで、バカみたいだけれど、なんだか一生懸命な彼らの姿は、60年代なんて知らない世代にも確かに伝わる。うそ臭いラブストーリーではなく、見た事もないレトロな世界で、嵐のメンバーがまるでコスプレのような衣装をまとって<ひと夏>を過ごすこと。そんな映画を通してこの映画に触れた少女たちは、自分たちが生まれ育った日本という国が、きっと好きになるはずだ。
空は高く、地面は雨が降るたびにぬかるみ、下宿はオンボロで、今日の晩飯にも事欠き、将来の保障なんて当然何ひとつ無い。明日さえ見えないのに、いつもノーテンキな男の子たちが愛しい。
細部まで目が行き届いた見事なセットと小道具の数々、それを見てるだけでも幸せになれる。作り手のただならぬこだわりが嬉しい。単なる懐古趣味とは一味違う。あの時代を懐かしむための映画ではなく、あの時代を生きた彼らのドキュメントとして、作品は作られてある。だから妥協は許されないのだ。
これは普遍的な青春映画である。ただ時代があの60年代だったということだけなのだ。そして、あの60年代でなくてはならなかったのである。この普遍と必然を兼ね備えた映画は、だからこそ今作られる意味を持つのだと思う。主人公の二宮和也は『硫黄島からの手紙』に続いて素晴らしい演技を披露してくてる。とても貧弱に見える彼の肉体が、戦中、戦後の日本人をよく象徴している。飢えた顔でギラギラしてる。
センチメンタルな映画になっていないのもいい。淡々と彼らのひと夏を描いていく犬童監督の演出が心地よい。これを思い入れたっぷりのへんに感動的な作品として作られたら、しらけてしまう。
劇場を出る時、僕の前を歩いていた女の子が母親に「なんで題名は黄色い涙なんだろね」と聞いていたのが印象に残っている。「そのことを君にしっかり考えて欲しいんだよ」と思いつつ、おじさんである僕はほくそ笑んで聞いていた。
貧しいけれど、頑なで、バカみたいだけれど、なんだか一生懸命な彼らの姿は、60年代なんて知らない世代にも確かに伝わる。うそ臭いラブストーリーではなく、見た事もないレトロな世界で、嵐のメンバーがまるでコスプレのような衣装をまとって<ひと夏>を過ごすこと。そんな映画を通してこの映画に触れた少女たちは、自分たちが生まれ育った日本という国が、きっと好きになるはずだ。
空は高く、地面は雨が降るたびにぬかるみ、下宿はオンボロで、今日の晩飯にも事欠き、将来の保障なんて当然何ひとつ無い。明日さえ見えないのに、いつもノーテンキな男の子たちが愛しい。
細部まで目が行き届いた見事なセットと小道具の数々、それを見てるだけでも幸せになれる。作り手のただならぬこだわりが嬉しい。単なる懐古趣味とは一味違う。あの時代を懐かしむための映画ではなく、あの時代を生きた彼らのドキュメントとして、作品は作られてある。だから妥協は許されないのだ。
これは普遍的な青春映画である。ただ時代があの60年代だったということだけなのだ。そして、あの60年代でなくてはならなかったのである。この普遍と必然を兼ね備えた映画は、だからこそ今作られる意味を持つのだと思う。主人公の二宮和也は『硫黄島からの手紙』に続いて素晴らしい演技を披露してくてる。とても貧弱に見える彼の肉体が、戦中、戦後の日本人をよく象徴している。飢えた顔でギラギラしてる。
センチメンタルな映画になっていないのもいい。淡々と彼らのひと夏を描いていく犬童監督の演出が心地よい。これを思い入れたっぷりのへんに感動的な作品として作られたら、しらけてしまう。
劇場を出る時、僕の前を歩いていた女の子が母親に「なんで題名は黄色い涙なんだろね」と聞いていたのが印象に残っている。「そのことを君にしっかり考えて欲しいんだよ」と思いつつ、おじさんである僕はほくそ笑んで聞いていた。