こんなにもストレートでわかりやすい芝居なんてめったにないだろう。ふつうどこかで無意識にでも捻りを入れてしまうのが作家の常だ。三名刺繍だって、普段ならこんな作劇はしない。彼女は無邪気を装うのではなく、信じる。だから可能な芝居なのだろう。こんなことをすると、普通なら嘘くさくなったり、バカバカしいものになりかねない。だが、そうはならないのだ。
Ho―Me―I―Ku音楽劇と銘打たれた本作は、ほめ育財団とのコラボ企画らしい。だから、いつものレトルト内閣とはひと味違う芝居になった。よく言えば、ストレート。悪く言えば単純。まるでおとぎ話のような内容だ。教条的で鼻につくと言われるかもしれない。だが、こんなにもシンプルでストレートに作っても、2時間を飽きさせないというのは凄い。作り手の上手さが光る。それを職人芸のように感じさせたなら、これは失敗になる。難しいところだ。だがそんな綱渡りに成功している。
ただ、3人の「愚か者」による冒険が描かれるスケールの大きなお話になるはずなのだが、それがなぜかとても小さくまとまっていくのは気になる。3人を影で操るフジワラ財閥との確執も絡めて、家族の問題や、お金の問題、人がどう生きたいと思うのか、さまざまな問題が含まれる。
エピメテウスの眼鏡という権力者なら誰もが手にしたいと願う宝物を巡る冒険世界が描かれるのに、それがなぜ小さくまとまっていくのか。フジワラ一族の内紛が、無邪気な3人との対比のなかで、どう変わってくるのかが描き切れていないからだ。お互いがきちんと作用し合って化学変化を遂げていくという(パターンだが)図式が生きてこない。狭い世界から広い世界へと飛翔していくことになるのは、3人のエピメテウスたち(だけ)ではなく、フジワラ一族の方だったりする。これはある種の寓話なのだが、その単純な図式がいくつもの歌を散りばめた旅の果てにたどり着く幸福なラストに結実するという心地よさが、ほんの少し消化不良を起こしている。ラーメン屋という小さな世界から文字通り大きな「世界」を見つめることになるという発想の面白さが生かし切れていない。