「うんこなまず」という、あり得ないような強烈なインパクトを持つ劇団名を今回、改名した。そうすることで、彼らの過激さが影を潜めることになったなら、イヤだな、と心配したのだけど、そんなこと要らぬお節介とばかりに、繁澤邦明は変わることないマイペースで90分を駆け抜ける。難しいことを考えるのではなく、バカバカしいまでに単純に笑いながら見ていればいい。その先に答えがあるかもしれない。ないかも、しれない。どうでもいいかもしれない。
今回は「言葉」を巡る物語。いくつもの言葉が書かれた紙が舞台上を埋め尽くす。その紙を剥がして並べて、体にくっつけて、芝居は展開する。言葉が意味を担うのだが、意味は言葉を担わない。そんな当たり前のことを教えてくれる。
この芝居に意味を見いだそうとしても、ムダだ。紙に書かれた言葉の数々をつなぎ合わせて意味を見いだす作業を早々に放棄して、ただ戸惑いながら交わす言葉のやりとりをスルーして、彼らの苛立ちと向き合う。意味や会話を拒否するのではなく、相手の胸の内を探りながら、それでも伝わり切らない絶望感を胸に抱き、舞台を見守り続けることになる。
もろびとこぞりて、と歌うことで伝えたかった想いはひとつに結実することなく、バラバラなままそこにある。ラストで舞台に貼られていたすべての紙が落ちていく瞬間の快感。「アナ」と「ログ」、「デジ」と「タル」のいくつもの組み合わせのなかで、決して「デジタル」「アナログ」とはならないように、意味のないバカバカしい会話の数々は帰着点を見いださない。そこと、向き合い、そこに秘められた意味を見いだそうとする行為、そんなことを笑い飛ばす。意味なんかそこにはもう存在しないのだから。ピョンヤンから東京までの距離を走り抜けた男と、彼を迎える恋人。絶望を希望に変えるためには、何が必要なのか。もちろん、そこには明確な答えなんかないけど。