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映画・演劇のレビュー

藤野可織『ファイナルガール』

2014-05-24 22:23:35 | その他
 「愛は可怪しい」と帯にある。赤い帯で中心にそれだけが書かれてある。この短編集はかなりヤバイ。一筋縄ではいかない作品ばかりが並ぶ。これを恋愛小説と呼ぶのは、もうその時点で十分ヤバイのだが、敢えてそう呼ぶことで、ジャンルそのものがボーダレスなものになるだけではなく、愛というものの定義すら、もう一度根底から問い直さなくてはならなくなる。恋愛感情というものが誰に向けて発せられ、それによって人はどうなっていくことのなるのか、ということを、まさかの展開の中で見せていく。奇を衒っているわけではなく、思いもしない地平からざっくりと切り込んでくるのだ。不意を突かれて、思わずよろけてしまいそうになる。

 30歳までで母と同じように死ぬと思った女が、いくつもの修羅場を(変質者による集団殺人に、繰り返し、なぜか巻き込まれる!)乗り越えて、どっこい生きていく姿を描いたタイトルロールだけではなく、すべての作品がその過激な描写とストーリーテリングによって、息つく間さえ与えられない。異常な話の連続なのに、それがやけにリアルに胸に突き刺さっていくのだ。ものすごいものを見てしまった。そんな気分にさせられる。(読んだのだけど)

 シュワルツェネッガーをイメージした『プファイフェンベルガー』という作品のねじれ方も凄すぎる。ビルの中にある映画館(今の映画館はみんなそうだ)から屋上に、そこに閉じ込められて、という設定と展開なんて、ありえない。しかも、シュワルツェネッガーは出てこないし。恋人とふたりで、お互いにまるで共通項のないふたりが、そこで救助を待つのだが、電話に出た映画館の従業員からは、そんな場所はないと言われる。だから、どう展開していくのだよ、と思わず突っ込みを入れたくなる。他の短編も多かれ少なかれ同じだ。シュールというのではなく、現実に十分あるような設定なのに、それがなんだかいびつにねじれてしまい、収集がつかないようになる。幻想小説ということにしてしまってもいいのだが、そんなふうには落ち着かないのが、この作品集の魅力だ。


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