この秋最大の超大作映画の登場である。これだけのスケールの映画が、こんなにも地味に公開されるって何なんだろう。もったいない。しかもあまりヒットしていないみたいだ。残念でならない。『ピンポン』でデビューして以来、映画化が困難なマンガの映画化を次から次へと成功させてきた曽利文彦監督渾身の一作である。今回,江戸時代のコミックとも言える滝沢馬琴の最高傑作『南総里見八犬伝』とそれを執念で書き上げた馬琴本人を描く大河ドラマに挑んだ。
昔、深作欣二監督が『里見八犬伝』(壮大な失敗作)を映画にしているが,映画化はあれ以来である。だけど、八犬伝といえば深作ではなく、僕ら世代はNHKの『新八犬伝』である。毎日6時半が待ち遠しかった。あんな面白い活劇を見たことがなかった。しかもあれは人形劇である。毎日先が気になって仕方なかった。
さて、今回の映画は,単純に『南総里見八犬伝』の映画化をしたものではない。現在パート(実)と劇内パート(虚)が混在して1本の作品として昇華される。山田風太郎原作の荒唐無稽なスペクタクルだ。滝沢馬琴(役所広司)と葛飾北斎(内野聖陽)の友情と確執をベースにして彼の生涯の一作『八犬伝』を書き上げるまでが描かれる人間ドラマと原作通りの壮大なファンタジーが交錯する。馬琴の執念、ワクワクドキドキして話に耳を傾ける北斎の無邪気さ。ふたりのドラマは、本題である『八犬伝』以上にスリリングだ。
もちろん『八犬伝』の映画化としても深作版よりもずっとよく出来ているのは自明のことだろう。あの膨大な原作をなんと正味1時間ちょっとの上映時間で見事にダイジェストにして見せ場を満載させて見せてくれる。曽利監督である。VFXの見事さはいうまでもない。壮大なスペクタクルを実現する。
さらには特筆すべきは現在パートである。こちらは『八犬伝』を書き上げるまでの28年間のドラマが、(ほぼ)ふたり芝居の濃密な密室劇として描かれる。というか、ふたりが部屋で喋っているだけ。なのに、この素晴らしさ。役所、内野コンビの掛け合いに寺島しのぶ、黒木華、磯村勇斗という上手い役者が絡んでくる。
これだけのボリュームある作品を全体で2時間30分の映画に仕立てた。
そして、最大の見せ場はふたりが『東海道四谷怪談』を見に行くシーンだ。劇場の奈落で鶴屋南北(立川談春)と対峙する場面の緊張感。善と悪。嘘と実。それを物語の中にいかにして取り込むのか。このふたりの作家による静かな問答が(対決が)この映画全体の根底をなす。見事である。これはアクションとしても人間ドラマとしても、今年一番の大作映画だ。