このタイトルは、「男だけの世界」という意味ではない、と本人が「まえがき」でも述べている。だいたい、こういう短編集に「まえがき」があるということ自身が驚きだ。作品の成立事情なら、「あとがき」で十分ではないか。というか、そういうものがいらない、と考えるのが普通だ。もちろん、村上春樹自身がそんなこと百も承知。でも、敢えてそれをするのには、彼なりの事情というものがあったのだろう。これは、そういうエクスキューズが必要な短編集なのだ。たぶん。いろんな憶測は可能なのだが、今はまず出来上がった作品自身のことから始めよう。
長編も好きだが、短編の村上春樹は素晴らしい。『ノルウェイの森』よりも、『蛍』のほうが好きなのはそういう理由からだ。もちろん、長編には長編でしか味わえないよさがある。そんなことも重々承知の上で、今回の9年振りになる短編集を堪能する。
で、最初のタイトルの話に戻る。これはいずれも恋愛小説だ。なのに、そこには女がいない。そのことを、単純に「失恋を描く」と理解すべきではない。もともと、人間はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。それは等しく誰にとっても、同じ条件だ。その間、寂しいから誰かとつながろうとする。恋愛もまた、そんな幻想のとあるツールなのだ。ここに描かれる6人の男たちのお話は、誰か(もちろん、女性だ)を失った男の物語だ。彼女の不在の時間を彼らがどう過ごすのかが描かれる。それがもうひとりの男を通して描かれる場合もある。ふたりの男が、どちらかの抱える問題を考える、というスタイルだ。
やがて、大切な人はいなくなる。そこには、それぞれ別々の事情が影響する。だが、いずれも、いなくなる、という意味では同じことなのだ。死と失踪。離婚。理由はともかく、そこにできた隙間をどう埋めるか、が6つの短編では描かれていく。
要するに、いつもの村上春樹なのだ。ひんやりとした寂しさ。静かにそれとむきあう時間。いずれの作品も、同じような心の空隙が描かれている。答えなんかない。お話自身も中途半端に終わっていくものも多々ある。どこで始まり、どこで終わるのか、なんてルールはない。宙吊りにされたような状態で終わるものもそれを静かに受け入れることができる。現実なんか、えてしてそんなものだからだ。あきらめが、後悔を上回る。理由なんかない。でも、ちゃんとわかる。
14歳の少年と少女として出会うべきだった「ふたり」の2年間の恋が、その空白(彼らの恋愛期間、一緒に過ごした時間を空白と呼ぶ)の後の今から照射させる。本来あるはずだったものがあらかじめ失われている。でも、人生は続く。やがて、別れてしまった後、彼女の死を彼女の夫から聞かされる。なぜ、彼女の夫は彼の電話番号を知っていたのか。そんなことより、ずっと記憶の彼方にあった彼女が自殺したという事実だけが、彼を遠い日に連れ去る。これがタイトルロールの短編だ。
ほかの5つの話も同じ。不在の彼女を想うことで、彼女とすごした時間の甘美な記憶がよみがえるのではなく、自分が、あの時も、また、今も、いかに孤独だったのか、それが、わかる。それだけのことだ。だが、ただ、それだけが、どれだけ重いものか、改めてわかる。
長編も好きだが、短編の村上春樹は素晴らしい。『ノルウェイの森』よりも、『蛍』のほうが好きなのはそういう理由からだ。もちろん、長編には長編でしか味わえないよさがある。そんなことも重々承知の上で、今回の9年振りになる短編集を堪能する。
で、最初のタイトルの話に戻る。これはいずれも恋愛小説だ。なのに、そこには女がいない。そのことを、単純に「失恋を描く」と理解すべきではない。もともと、人間はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。それは等しく誰にとっても、同じ条件だ。その間、寂しいから誰かとつながろうとする。恋愛もまた、そんな幻想のとあるツールなのだ。ここに描かれる6人の男たちのお話は、誰か(もちろん、女性だ)を失った男の物語だ。彼女の不在の時間を彼らがどう過ごすのかが描かれる。それがもうひとりの男を通して描かれる場合もある。ふたりの男が、どちらかの抱える問題を考える、というスタイルだ。
やがて、大切な人はいなくなる。そこには、それぞれ別々の事情が影響する。だが、いずれも、いなくなる、という意味では同じことなのだ。死と失踪。離婚。理由はともかく、そこにできた隙間をどう埋めるか、が6つの短編では描かれていく。
要するに、いつもの村上春樹なのだ。ひんやりとした寂しさ。静かにそれとむきあう時間。いずれの作品も、同じような心の空隙が描かれている。答えなんかない。お話自身も中途半端に終わっていくものも多々ある。どこで始まり、どこで終わるのか、なんてルールはない。宙吊りにされたような状態で終わるものもそれを静かに受け入れることができる。現実なんか、えてしてそんなものだからだ。あきらめが、後悔を上回る。理由なんかない。でも、ちゃんとわかる。
14歳の少年と少女として出会うべきだった「ふたり」の2年間の恋が、その空白(彼らの恋愛期間、一緒に過ごした時間を空白と呼ぶ)の後の今から照射させる。本来あるはずだったものがあらかじめ失われている。でも、人生は続く。やがて、別れてしまった後、彼女の死を彼女の夫から聞かされる。なぜ、彼女の夫は彼の電話番号を知っていたのか。そんなことより、ずっと記憶の彼方にあった彼女が自殺したという事実だけが、彼を遠い日に連れ去る。これがタイトルロールの短編だ。
ほかの5つの話も同じ。不在の彼女を想うことで、彼女とすごした時間の甘美な記憶がよみがえるのではなく、自分が、あの時も、また、今も、いかに孤独だったのか、それが、わかる。それだけのことだ。だが、ただ、それだけが、どれだけ重いものか、改めてわかる。