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映画・演劇のレビュー

吉田修一『悪人』その2

2007-10-18 22:35:21 | その他
 最後の告白シーンを読みながら、涙が出てきそうになった。単純に可哀想とか、そういう話ではない。彼が「悪人」になってしまった理由なんかを突き詰めたって何の意味もない。

 出会い系サイトで知り合った女性を殺し、さらには同じように出逢った別の女性を連れて逃亡し、最後にはその女の首を絞めようとした男を「悪人」と呼んでもいい。しかし、彼を認めるのではないが、彼の最後の告白の中にある彼の人に対する優しさが、胸に沁みてくる。本当の気持ちなんか、誰にもわからない。たとえ愛する人であろうと、本人であろうともである。

 ただ、周囲のことを考え、冷静に判断し、「苦しんでいる女の人に性的な興奮を感じる」男を演じることで、自分自身の罪を認めようとした彼の気持ちは痛いほど伝わってくる。自分が加害者であるという事実はどれほど言葉を重ねようと変わるものではないし、変えたいとも思わない。「怖かったから」気付くと殺してしまっていた、という本当の気持ちを包み隠して、彼はすべてを認める。

 悪人というのならば、彼よりも第一容疑者となった大学生のほうがずっと酷い悪人であろう。彼は、女たちをたぶらかし、バカな話を自慢げにしているような不愉快な男である。だが、彼は人を殺してはいない。

 悪人というのならば、出会い系サイトで出逢った男と次々に付き合っていた被害者の女もそうであろう。ただし、彼女の父親がなぜ自分の娘が殺されなくてはならないのか、と義憤を感じる気持ちも痛いほど良くわかる。この父親が、笑いながら娘のことや自分のことを馬鹿にして友人に話す件の大学生を殺そうとしたのもよくわかる。こんなくだらない男を殺しても仕方ない、と思い握り締めていたスパナを手放したシーンでは胸が熱くなる。張り裂けそうな無念を噛み締めながら去るこの父親に拍手をしたくなる。

 ノンフィクションの文体でもなく、主人公たちの感情に寄り添うわけでもない。とても微妙な距離感をとることで成立する。出来るだけ客観的に自分を見つめながら、独白により、自分たちの気持ちを語っていくというスタイルが効果的だ。人と人が繋がるとても危うい絆を、信じたくなる、そんな小説だった。

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