渡辺謙の『明日の記憶』と並べたくなるような役所広司の『象の背中』である。同じ世代の働き盛りの中年男が、ある日、病気の宣告を受け、妻に支えられて、最期の一時を生きる。彼らと同世代だから、というわけだけではないが、なんだか他人事とは思えない。まぁ、僕はエリート・サラリーマンではないし、彼ら見たくかっこよくないから感情移入とまでは行かないし、もし、自分が癌とか若年性アルツハイマーになったりしたなら、彼らのように生きれるか、といわれたらいささか心許ない。まぁ、無理。その一言で終わりだが、今はそんな事が言いたいのではない。
潔い、ということが男らしいか、と言われれば、決してそうとばかりは言えない。気がする。こういうヒロイズムのようなものを素直に受け入れられない人もいるだろう。僕は『明日の記憶』はOKだったが、今回の『象の背中』はNGだ。
2人の役者の差ではない。演出の力量の差は確かにある。(どちらかと言うと、脚本の差なのだが)しかし、それだけではない。
かっこ悪いが、カッコイイ渡辺謙と較べて、あまりに役所広司は単純にカッコよ過ぎるのだ。演出が引っ張りすぎたのも大問題で、堤幸彦のさらりとした見せ方が心に沁みる。対して井坂聡は、引っ張りすぎで、かなりひつこい。それって松竹映画と東映映画の差なのかもしれない。まぁ、それは半分冗談みたいなものだが、正直言ってこの映画の後半には少し呆れたのは事実だ。
『舞踏会の手帖』している前半は悪くない。勝手な男だが、あと半年で死んでしまうと言われてこういう行為に走る愚かさは分からないではない。なのに、それを、笹野高史の自分が倒産に追い込んだ男に病院で再会し、彼に殴られたことからやめてしまうのはなんだかなぁ、と思う。かっての思い出にさよなら言うことで見えてくるもの。そこが描かれていくのか、なんて思ったがそうではなく、気付くと、ただの難病ものになっている。家族愛とか、夫婦の絆とか。なんだか嘘くさい。
役所の愛人(こういう言い方はつまらんなぁ)である井川遥との話は、面白いのに、それが夫婦愛にかき消されてしまう。勝手な男なのに、それをただの男の甲斐性みたく描かれたら鼻白む。この男の優しさと、どうしようもない思いが、狡さも含めてもう少し踏み込んで描いて欲しかった。独りよがりで勝手な男を単純にかっこいい男として、描いてしまう勘違いがこの映画の致命的な欠点である。
彼の180日間の戦いというのは、なんだったのか。ただの、夫婦愛ではない、プライドを賭けた戦いとしての側面も描かなくては、ただの甘いだけの映画になる。それでいいのなら何も言わないが。
潔い、ということが男らしいか、と言われれば、決してそうとばかりは言えない。気がする。こういうヒロイズムのようなものを素直に受け入れられない人もいるだろう。僕は『明日の記憶』はOKだったが、今回の『象の背中』はNGだ。
2人の役者の差ではない。演出の力量の差は確かにある。(どちらかと言うと、脚本の差なのだが)しかし、それだけではない。
かっこ悪いが、カッコイイ渡辺謙と較べて、あまりに役所広司は単純にカッコよ過ぎるのだ。演出が引っ張りすぎたのも大問題で、堤幸彦のさらりとした見せ方が心に沁みる。対して井坂聡は、引っ張りすぎで、かなりひつこい。それって松竹映画と東映映画の差なのかもしれない。まぁ、それは半分冗談みたいなものだが、正直言ってこの映画の後半には少し呆れたのは事実だ。
『舞踏会の手帖』している前半は悪くない。勝手な男だが、あと半年で死んでしまうと言われてこういう行為に走る愚かさは分からないではない。なのに、それを、笹野高史の自分が倒産に追い込んだ男に病院で再会し、彼に殴られたことからやめてしまうのはなんだかなぁ、と思う。かっての思い出にさよなら言うことで見えてくるもの。そこが描かれていくのか、なんて思ったがそうではなく、気付くと、ただの難病ものになっている。家族愛とか、夫婦の絆とか。なんだか嘘くさい。
役所の愛人(こういう言い方はつまらんなぁ)である井川遥との話は、面白いのに、それが夫婦愛にかき消されてしまう。勝手な男なのに、それをただの男の甲斐性みたく描かれたら鼻白む。この男の優しさと、どうしようもない思いが、狡さも含めてもう少し踏み込んで描いて欲しかった。独りよがりで勝手な男を単純にかっこいい男として、描いてしまう勘違いがこの映画の致命的な欠点である。
彼の180日間の戦いというのは、なんだったのか。ただの、夫婦愛ではない、プライドを賭けた戦いとしての側面も描かなくては、ただの甘いだけの映画になる。それでいいのなら何も言わないが。