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映画・演劇のレビュー

沢木耕太郎『ポーカー・フェース』

2012-01-13 18:59:43 | その他
これは沢木さんの3冊目のエッセイ集だ。もちろん厳密に言えば、もっとたくさんのエッセイを書かれているが、ジャンル分けを明確にして、これこそが沢木さんの考えるエッセイ集、という意味で3冊目となるということだ。沢木さんのこだわりは細部まで染みわたっている。敢えて「フェイス」ではなく、「フェース」とするのも、そうだ。『バーボン・ストリート』『チェーン・スモーキング』に続く最新刊だが、タイトルひとつにまで徹底的にこだわる。もちろん当然、文章も、だ。当たり前だが。ノンフィクションライターとしての矜持が、そうさせる。

今回、読みながらどうしても、老いの問題が見え隠れするのは、年齢的なものもあるのだろう。先日の椎名さんのエッセイでも感じた。まぁ、自分も気にしている事だから、目につくのだろう。亡くなられた方との交流を描くエピソードが随所にちりばめられてある。軽いエッセイはない。

だからといって重いエッセイなんてない。簡単には書かれていないのだ。書き流すのではなく、明確な意図のもと、戦略を立てて書く。ひとつのエピソードは完成された作品となる。短編小説のようにエッセイが書かれる。いつものことだが、この本気モードが、読んでいて心地よい。中途半端はしないのだ。なにもエッセイなんだからもっと軽やかなフットワークでもいいじゃないか、と言われるかも知れない。だが、沢木さんにはそんな選択肢はない。手を抜くことが出来ないし、そんな仕事はしない。それは他の人のエッセイを否定することではない。自分の流儀を変えないだけなのだ。それでなくてはやらない。

1編を読み終えると、そこでほっと一息つきたくなる。続けて読み流すことは出来ないし、そんなもったいないことをしたくない。一編一編は、ひとつのテーマのもと書かれてあるが、どこに着地するのかさえよくわからない。心の赴くまま、ではない。書いているうちに世界が広がってくるのだろう。そんなところもおもしろい。

読み終えるのが惜しい。それはこの次、沢木さんのエッセイ集が読める機会は10年先だか、20年先だか、想像もつかないからだ。彼は納得しない限り次の仕事をしない人だし。年に10冊とか出版する作家もいるけど、寡作の人もいる。それは諸事情もあるだろうが、それぞれのスタンスなのだ。『バーボン・ストリート』が84年で『チェーン・スモーキング』が90年なのだから、次は20年ではすまないかもしれない。その時まで沢木さんが生きているのか、さえ不安だ。まぁ、冗談はさておき、できるだけ早く4冊目を作ってもらいたい。


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