このタイトルは凄いと思った。「僕らはもう、ほとんど期待していない」ということの裏返しだ。そしてそこに込められたほんの少し残った希望。それにすがりつこうとする。いや、彼らはもうほぼ絶望しているのかもしれない。なのに、死なずに生きている。誰にも頼れない。なのに、誰かに頼ろうとしている。木地雅映子の小説を読むのはこれが初めてだが、このタッチはふつうじゃないなと思った。こんな不思議な感触の小説は初めてだ。
高校3年の夏。土橋輝明は同学年の秦野あさひから相談を持ち掛けられる。仕方なく彼女の話を聞くのだが、その直後、彼女が失踪する。彼は彼女が抱える闇と向き合うことで自分が避けてきた(自分自身の抱えていた)深い心の闇と向き合うことになる。彼女の過酷な生い立ちを知り、失踪したあさひを探すため、両親の離婚後別れ別れとなった彼女の弟を探す旅に出ることになる。(なんだかややこしい)
土橋自身も複雑な家庭事情を抱える。彼は片親の違う弟を自分の意志で引き取り彼と同居している。お話にはなんだかよくわからないような様々な要因が怒濤のように設定されていて、あきれる。彼が株かなんかで莫大な自己資産を持っていて、高校生なのに金には困らないとか、そのことを学校のみんなは知っていて彼に擦り寄るとか、そんなこんなのなんだかわけのわからない展開が冒頭にいくつも用意されている。
主人公の土橋とヒロインのあさひの接触は冒頭のみで、その後彼女は失踪したまま、最後まで出てこないなんていう展開もふつうじゃない。北海道の札幌市からスタートして、東京に行き、そこから埼玉所沢市のあさひの弟が保護されている施設へ、そこからさらには沖縄那覇市、慶良間へと舞台を移し、日本縦断のひと夏の旅が描かれる。
とんでもない親のもとで育ち、傷つき、生きてきた。しかし、この先は自分一人で生きる。そのためにも切り捨てた親と向き合い、失われた弟を探す。あさひがする(している)はずのそんな旅はなぜか描かれないまま、一方的に土橋の旅のみが描かれる。彼女の失われた弟を探し出し、彼の病んだ心の秘密を解き明かすため彼(とあさひ)の母親と出会い、彼女の病んだ心と向き合う。なんとまぁ、複雑でまどろっこしい手続きか。
主人公の土橋だけではない。登場する人物それぞれが一筋縄ではいかない曲者ばかりだ。沖縄で出会うホテルのオーナーの娘とか、その母親(オーナーね)とか、周辺の人物までもが興味深い。なのにヒロインであるはずの秦野あさひは描かれない。
だが、やがてはっきりする。あさひを助けることが、自分を生かすことになることを。2013年夏。18歳の少年(少女)が9年後、2022年結婚するまで。人は一人で生きているのではない。これは不在の彼女を通して彼の物語が完結するという仕掛けなのだ。