70年代中国を舞台にした青春映画。文革の嵐の後、中国が変わり始める時代、文工団(文芸工作団)に入ったひとりの少女と彼女の周囲の人たちの群像劇。ナレーションで私はこのドラマの主人公ではない、とお話の語り部である少女が言う。主人公はこのふたりだ、と雨の中ここにやってきた少女と彼女を迎えに行っていた青年の姿が描かれる冒頭から、中年になったそのふたりが手を取り合うラストまで、そういうとこれは正統派ラブストーリーに見えるが、そんな単純な物語ではない。
毛沢東の死から中越戦争という激動の時代を背景にして、彼らが暮らす文工団(軍の歌劇団)での日々が描かれる。10代から大人になる20代へと、まさに輝かしい「青春時代」の一コマが綴られるのだが、痛ましすぎて、途中から目をそむけたくなることも多々ある。だけど、彼らはそこで確かに全力で生きたのだということがしっかりと伝わってくるから、目をそらすことはできない。それどころか、スクリーンに釘付けになる。この先、何が起きるか、わからないけど、ちゃんと見つめていたいと思わされる。主人公の少女が、ここから出ていき戦場に出たところからお話は急展開する。歴史の荒波に翻弄される。76年から79年にかけての数年間がお話の中心になる。
ノスタルジックな青春回顧映画ではない。だけど、誰もが心当たりのある青春期の痛み、ほろ苦さがここには確かにある。こんなにも辛いのに、でも生きている。あまりもの悲惨なドラマが後半(中越戦争)生々しく描かれる。彼らはそんな時代を生きたのだ。実は彼らは僕と同世代だ。彼らがこんなふうに生きた時代を、その同時代を僕は日本で過ごしていた。そんな事実を思うとき、彼我のあまりの隔たりと、同時にシンクロしてくるのものに、動揺する。彼らはもうひとりの僕なのかもしれない。輝くように生きた彼らの青春。自分を信じて自分を愛して、同時に彼や彼女に心を惹かれて悩んだり苦しんだり幸せな気分になったり、誰にも心当たりのある胸のときめき。それが確かなものとして描かれていく。
映画を見てこんなにも、心震えることは近年なかった。だんだん感覚が鈍化して、何に対してもあまり心が揺さぶられなくなっていたのだ。どうでもいい、って、そんなふうに醒めた目でいろんなことを見ていた。感動が遠くなっていた。自分の人生がもう終わってしまったみたいな、そんな気分で毎日を過ごしていた。新鮮な感動なんてもうどこにもない。そんな今のしらけた自分にこの映画は喝を入れてくれたのではないか。見ながら気づけば泣いていた。
一生懸命に生きても、うまくいかないことばかりだ。だけど、それでも人生は続く。これは生きることへの応援歌だ。それを押しつけがましさとは無縁のあまりの自然さで見せる。怒濤の時代の中国を舞台にしているにもかかわらず、この映画にはすべての人たちに通じる普遍性がある。彼らは僕らだ、と思わされる。それだけに映画では描かれない今の彼らの姿が胸に刺さる。映画は90年代の再会からさらに10年後の再再会を経てふたりがその後一緒になったというナレーションを経て今の彼らは見せないけど、というナレーションで終わる。なんだかとても優しい。でも、そこには確かに今を生きるふたりの姿が浮かんでくる。それだけで、胸がまた熱くなる。何があってもずっと一生懸命に生きよう。そう思わしてくれる。これは大げさではなく、確かにそんな生きる勇気を与える映画なのだ。