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映画・演劇のレビュー

桃園会『a tide of classics』

2007-06-21 22:47:27 | 演劇
 僕が見たDプロは夫婦の静かな時間を描く3連作となっている。(『可児君の面会日』はあまり静かな時間とは言い難いし、『驟雨』だって妹が大騒ぎしているが、そんなことも含め静かな時間と敢えて認識したい)市井のなんでもない日々をさらりと描いた作品が並ぶ。それを深津篤史は特別何の工夫もなく、そのまんま舞台に乗せていく。単調でつまらないものになり兼ねないのに、当然そうはならない。そっけないくらいにさりげない。なのに、飽きさせることなく見せる。変な小細工はいらない、と思ったのだろう。過剰な思い入れもない。とても潔い。成瀬巳喜男の傑作『驟雨』と同じエピソードを2つ使っているが正直言うとあの映画のユーモアと較べて、こちらはちょっとあっさりし過ぎているのは残念だ。(余談だが、封切時あの映画に関して佐藤忠男はあまり高い評価を下していない。あれだけの傑作が公開時は理解されてないのには驚かされる。)

 今回深津さんはいつもの深津ワールドにはならない作品作りを目指している。岸田國土のオリジナルテイストを生かすことをまず第1にしているのだ。とても慎ましやかな芝居だ。その点成瀬は岸田戯曲を自分の世界に引き寄せて描いている。それがいいとか悪いとかいうことを問題にしているのではない。ただ、何が一番必要だったのか、それが気になるのだ。

 以前エレベーター企画が『紙風船』を上演して成功しているが、外輪さんはいつものけれんを駆使して、たった2人で慎ましく暮らす若い夫婦の「憂鬱な日曜日の幸福」を繊細な描写で見せてくれている。白いシーツと蝋燭の灯りを効果的に使っていた。(と、書きつつも、はたして蝋燭?だったっけと、不安になってきた。)

 深津版は殊更何もしない。ここまで何もしていないように見せる演出は見事と言うしかない。本当なら少し不安になって、いくつかの仕掛けを用意しておきたいものだが、今回はそれを禁じ手にしている。役者の力を信じたというのではなく、台本の力をまず信じた。この80年前に書かれた台本の中に描かれる日本人をノスタルジアではなく、リアルな日本人の姿として捕らえ、それは今、舞台化しても観客の胸に届くと信じた。そして、その試みは成功している。人の心の機微を描く桃園会のスタイルとも合致している。

 『可児君の面会日』『驟雨』『紙風船』という順序もとてもいい。夫婦の日常というテーマに絞り込んで、それが1話ずつどんどん些細なものになっていくのもいい。今回一番見たかったのは、『紙風船』で、前述の外輪版との差異を見極めたかったのだが、アプローチがあまりに違いすぎて興味は深津対成瀬へと向かってしまった。映画『驟雨』は成瀬の最高傑作の1本だが、封切当時は、あの凄さが理解されなかったらしい。あまりにさりげなく、いつもの才能のかけらもないと悪評されたらしい。当たり前の夫婦の日常が、そのまま捕らえられただけで、映画としての醍醐味が感じられない、とでも受け止められたのだろうか。しかし、今の目で見た時、このさりげなさは特筆に価する。ここまで見事にさりげない日常を捉えることが出来る映画作家だったからこそ、世界的な巨匠と成り得たのではないか。

 深津は成瀬がやったことを現代の視点で、普遍性をもって描いて見せようとした。その結果、この一見何の変哲もない軽いスケッチを提示することになった。これをどう受け止めるかは観客に委ねられている。とても微妙な出来栄えだ。それは成瀬が40年前にこの映画を作り上げた時と似ているかもしれない。桃園会の作品としては、つまらない出来だと黙殺されても気にすることはない。明らかに深津の試みは成功している。

  

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