2部構成、3時間の大作。45年、62年、95年という3つの時代を描く。京城(ソウル)から長崎浦上に戻ってきた4姉妹(と生まれたばかりの弟)の歴史が綴られていく。大掛かりな舞台装置は見事。電動式で回転する円形舞台を中心にして、上手の奥、2階部分といくつものアクティングエリアを用意して、重層的なドラマを見せていく。それらの空間を縦横に使い、いくつものシーンを断片的に見せていくことになる。
松田正隆は、彼らしいなんでもない日常描写を積み重ねていきながら、彼女たちの50年に及ぶ歴史を描く。第1部の昭和20年、戦後すぐの原爆被災地、長崎。幼い弟を抱え生き抜いていくために、必死になる四人の少女たちの日々を描く部分は台本にも力があるが、役者たちが、どうしても少女たちに見えないのが辛い。実年齢に近い第2部の方が安心して見ていられる。だが、この高度成長期のエピソードにはなぜだか、台本に力がなく、役者たちが頑張ってもあんまりぴんとこない。戦後すぐの焼け跡で、何の身寄りもなく肩を寄せ合うようにして、必死に生き抜く少女たちの物語として、完結させたほうが、この芝居は力を持ったのではないか。もちろんそれは劇団大阪に文句を言ってもしかたない。
オリジナル台本が50年に及ぶ大河ドラマとして書かれた以上、それを受け入れ、後半をどう見せていくかが、演出の見せ場となるはずだ。ここで大事になってくるのは、突然やって来て居候を決め込む三女の娘と、成長して高校生になった弟の2人だ。この子どもたちに掻き回される中年の域に達した姉妹たちの物語に戦争がどんな影を落としているのかを描いて欲しかった。戦争というものが忘れられていく中で、原爆の傷を今も残すこの街に住む彼女たちの日常こそ、鮮やかに見せる必要があったのだ。それを若い2人との対比で見せていくことが出来たなら、もっと面白い芝居になったはずだ。
エピローグである第3部は、老境に達した四姉妹の再会と、四女の結婚と弟の死という希望と絶望とが描かれる。これはこの芝居の総決算である象徴的なエピソードのはずなのに、そこにはお話としての結末しか描かれない。戦後50年という時間は彼女たちにとって何だったのかを描く大切な部分のはずなのに。これではこの3時間、僕らは何につき合わされてきたのかと唖然とさせられるだけだ。
台本の欠陥を今更あげつらってもどうしようもないが、敢えてこの台本を選んだ以上この欠陥を埋めるだけの演出が欲しかった。
松田正隆は、彼らしいなんでもない日常描写を積み重ねていきながら、彼女たちの50年に及ぶ歴史を描く。第1部の昭和20年、戦後すぐの原爆被災地、長崎。幼い弟を抱え生き抜いていくために、必死になる四人の少女たちの日々を描く部分は台本にも力があるが、役者たちが、どうしても少女たちに見えないのが辛い。実年齢に近い第2部の方が安心して見ていられる。だが、この高度成長期のエピソードにはなぜだか、台本に力がなく、役者たちが頑張ってもあんまりぴんとこない。戦後すぐの焼け跡で、何の身寄りもなく肩を寄せ合うようにして、必死に生き抜く少女たちの物語として、完結させたほうが、この芝居は力を持ったのではないか。もちろんそれは劇団大阪に文句を言ってもしかたない。
オリジナル台本が50年に及ぶ大河ドラマとして書かれた以上、それを受け入れ、後半をどう見せていくかが、演出の見せ場となるはずだ。ここで大事になってくるのは、突然やって来て居候を決め込む三女の娘と、成長して高校生になった弟の2人だ。この子どもたちに掻き回される中年の域に達した姉妹たちの物語に戦争がどんな影を落としているのかを描いて欲しかった。戦争というものが忘れられていく中で、原爆の傷を今も残すこの街に住む彼女たちの日常こそ、鮮やかに見せる必要があったのだ。それを若い2人との対比で見せていくことが出来たなら、もっと面白い芝居になったはずだ。
エピローグである第3部は、老境に達した四姉妹の再会と、四女の結婚と弟の死という希望と絶望とが描かれる。これはこの芝居の総決算である象徴的なエピソードのはずなのに、そこにはお話としての結末しか描かれない。戦後50年という時間は彼女たちにとって何だったのかを描く大切な部分のはずなのに。これではこの3時間、僕らは何につき合わされてきたのかと唖然とさせられるだけだ。
台本の欠陥を今更あげつらってもどうしようもないが、敢えてこの台本を選んだ以上この欠陥を埋めるだけの演出が欲しかった。