過激で挑発的な『西瓜』とは違いこちらはとても分かりやすいストーリーラインを持ち、そこから一歩もはみ出す事もない。しかも、感傷的な映画になら、いくらでも出来る設定にもかかわらず、ツァイ・ミンリャンはそういうことは一切しない。
ピーター・ボクダノビッチの『ラスト・ショー』と同じ話なのだが、30年以上の歳月を経た今、この素材を扱った以上、あの甘く緩いだけの映画の二の舞は踏むはずがない。ラストショーとしてキン・フーの『ドラゴン・イン』(正確には『龍門客楼』)を上映する台北の老朽化した大劇場を舞台にして、この最終上映にやってきた数人の観客と、ここで働く人たちの姿が淡々と一見何の感慨もなく描かれる。いつもと同じ1日として、この最後の1日が描かれる。
台詞はほとんどない。これだけの大劇場に客は数えるほどしかいないし、彼らはキン・フーのこの傑作をまともに見る気はない。ただ、なんとなく雨の夜の時間潰しに来ているみたいだ。上映中なのにいつまでもトイレで小便をしている男たち。ペチャクチャ言いながら何かを食べ続けるアベック。前に座っている人がいるのに足を椅子の上に乗せ、平気な顔のオヤジ。ガラガラなのに青年の横に座る中年男。映画に対するリスペクトなんてかけらもない人たちが客席で、見るともなくスクリーンを見つめている。(日本人青年が、なぜか一人でこの劇場の客としている!)
ラスト、上映が終わった後、誰もいなくなった劇場の客席をいつまでも撮り続ける据え置き長まわしのショット。さらには、この後の、雨の中、劇場を後にするもぎりや掃除といった雑用を一人こなしていた足の悪い女性(もちろん演じるのはチェン・シャンチー)の後ろ姿を捉えたラストシ-ン。何も語りはしないが、そこには、在りし日の映画への深い愛が満ち溢れている。
ピーター・ボクダノビッチの『ラスト・ショー』と同じ話なのだが、30年以上の歳月を経た今、この素材を扱った以上、あの甘く緩いだけの映画の二の舞は踏むはずがない。ラストショーとしてキン・フーの『ドラゴン・イン』(正確には『龍門客楼』)を上映する台北の老朽化した大劇場を舞台にして、この最終上映にやってきた数人の観客と、ここで働く人たちの姿が淡々と一見何の感慨もなく描かれる。いつもと同じ1日として、この最後の1日が描かれる。
台詞はほとんどない。これだけの大劇場に客は数えるほどしかいないし、彼らはキン・フーのこの傑作をまともに見る気はない。ただ、なんとなく雨の夜の時間潰しに来ているみたいだ。上映中なのにいつまでもトイレで小便をしている男たち。ペチャクチャ言いながら何かを食べ続けるアベック。前に座っている人がいるのに足を椅子の上に乗せ、平気な顔のオヤジ。ガラガラなのに青年の横に座る中年男。映画に対するリスペクトなんてかけらもない人たちが客席で、見るともなくスクリーンを見つめている。(日本人青年が、なぜか一人でこの劇場の客としている!)
ラスト、上映が終わった後、誰もいなくなった劇場の客席をいつまでも撮り続ける据え置き長まわしのショット。さらには、この後の、雨の中、劇場を後にするもぎりや掃除といった雑用を一人こなしていた足の悪い女性(もちろん演じるのはチェン・シャンチー)の後ろ姿を捉えたラストシ-ン。何も語りはしないが、そこには、在りし日の映画への深い愛が満ち溢れている。