TVドラマ的な安直さが鼻につく。監督の大谷太郎という人はTV出身で、これがデビュー作らしい。いくらTV屋さんだからと言って、ここまでなんの野心もない映画を作っていいのか、と思う。せっかく映画を撮るチャンスを与えられたのだから、自分にしかできない試みが少しくらいはあってもよさそうなものなのだが。なのに、安全圏でのルーティーンワークに終始する。
大ヒット作『ゴースト・NYの幻』のリメイクである。でも、今頃になってこんな企画を通すってどういう神経だろうか、と思ったが、あまり何も考えてないみたいだ。なんかそれってあんまりだなぁ、と思う。そこまで安易に映画が作られていいのだろうか。こういう映画を見ると、映画界そのものまで危ないのではないか、と思ってしまう。これは一事象に過ぎないことは重々承知していても、こういうものが確かに作られてしかもそれなりにヒットもしている、という現実を突きつけられたら、映画の未来は暗いとしか言いようがない。そんな気にさせられるのだ。ソン・スンホンと松島菜々子を主演に迎えて、基本設定は原作をそのままになぞるが、細部の入れ替えで目先の興味を繋ぐ。でも、そこがまたつまらない。安易としか言いようがない。2時間ドラマを放送する前に劇場でも掛けてみました、という程度の「似非映画」。
佐藤嗣麻子が脚本を書いているのに、なぜこんなことになったのだろうか。共同脚本のTV脚本家、中薗みほのせいなのか。演出に負けないくらいにこの台本がまた酷い。まるで細部を無視したおざなりさ、で、全くやる気が感じられない。人間が全然描かれてない。ペラペラのキャラクターがそれらしい設定を演じているだけ。しかも、話もこぢんまりとまとまっただけだし。ヒロインの死んでも死にきれないという無念な思いはまるで伝わらないし、映画ならではの奥行きのある世界はどこにもない。ただお話の表面を軽く追いかけただけ。オリジナルがヒットした理由はこのストーリーの面白さ、意外さ、だけではなかったはずだ。残された者の痛みなんかまるで描かれることもないから韓国からソン・スンホンをわざわざ呼んできた意味はまるでない。松島を大会社の社長にした意味もまるでないし。どうしようもない映画。笑える。というか、笑うしかない。
ウーピー・ゴールドバーグが演じた霊媒師を樹木希林が演じているが、こういう嘘くさい役をやらせると、さすがに上手い。最近やり過ぎで鼻につくことが(『悪人』とか)多かったが、今回は映画自体がこんなのだから、ちょうど上手く収まっている。そこくらいしか、褒めるところはない。
大ヒット作『ゴースト・NYの幻』のリメイクである。でも、今頃になってこんな企画を通すってどういう神経だろうか、と思ったが、あまり何も考えてないみたいだ。なんかそれってあんまりだなぁ、と思う。そこまで安易に映画が作られていいのだろうか。こういう映画を見ると、映画界そのものまで危ないのではないか、と思ってしまう。これは一事象に過ぎないことは重々承知していても、こういうものが確かに作られてしかもそれなりにヒットもしている、という現実を突きつけられたら、映画の未来は暗いとしか言いようがない。そんな気にさせられるのだ。ソン・スンホンと松島菜々子を主演に迎えて、基本設定は原作をそのままになぞるが、細部の入れ替えで目先の興味を繋ぐ。でも、そこがまたつまらない。安易としか言いようがない。2時間ドラマを放送する前に劇場でも掛けてみました、という程度の「似非映画」。
佐藤嗣麻子が脚本を書いているのに、なぜこんなことになったのだろうか。共同脚本のTV脚本家、中薗みほのせいなのか。演出に負けないくらいにこの台本がまた酷い。まるで細部を無視したおざなりさ、で、全くやる気が感じられない。人間が全然描かれてない。ペラペラのキャラクターがそれらしい設定を演じているだけ。しかも、話もこぢんまりとまとまっただけだし。ヒロインの死んでも死にきれないという無念な思いはまるで伝わらないし、映画ならではの奥行きのある世界はどこにもない。ただお話の表面を軽く追いかけただけ。オリジナルがヒットした理由はこのストーリーの面白さ、意外さ、だけではなかったはずだ。残された者の痛みなんかまるで描かれることもないから韓国からソン・スンホンをわざわざ呼んできた意味はまるでない。松島を大会社の社長にした意味もまるでないし。どうしようもない映画。笑える。というか、笑うしかない。
ウーピー・ゴールドバーグが演じた霊媒師を樹木希林が演じているが、こういう嘘くさい役をやらせると、さすがに上手い。最近やり過ぎで鼻につくことが(『悪人』とか)多かったが、今回は映画自体がこんなのだから、ちょうど上手く収まっている。そこくらいしか、褒めるところはない。