M・ナイト・シャマラン監督が、ポール・トレンブレイの小説「終末の訪問者」を原作に描くホラータッチのスリラー映画。シャマランなのにオリジナルではないなんて初めてではないか。でも、お話自体はいかにもシャマランらしい映画で、彼がこの原作を手掛けようとしたのも頷ける。決してネタ切れというわけではないだろう。自分の世界がそこにあるからそれを映画にしただけ。そんな感じ。
今回は低予算のほぼ密室劇。(『ザ・ホエール』と同じパターン)登場人物はたった7人だけ。地味だけど、シャマランらしい。あり得ない設定で、それがありえることとして展開していくから、恐怖になる。あまりに単純なプロットだから、すぐに飽きてしまいそうになる。回想で描かれる3人のドラマ(男性同士の同性愛者が、孤児を引き取り育てることになる)が単調になりそうな映画を救う。マイノリティの彼らが主人公で彼らが終末から世界を救う話になる。
上映時間はたったの100分。ラストの究極の選択を素直に受け入れる。これは小さな映画だけど、それだからこそ描けたお話だ。『ミステリーゾーン』かなんかで1時間ものとして作りそうな作品なのに、それをこんなふうにしっかり作った。大作の呪縛から解き放され、今のシャマランは自由自在だ。
4人の訪問者とのやりとり(順番に殉死していく)から最後の選択まで、シンプルで、ひねりはない。というか、このお話自体が既にひねられまくっているから、それ以上の仕掛けは不要なのだ。だけど、これだけのお話で1本の作品に仕上げるのは簡単ではない。津波、感染症、飛行機事故、火災。そして世界の終り。ある種の定番をなぞる。先日見た『世界の終りから』といい、本作といい、たまたまだろうけど、同じようなテーマの作品が続く。普通の家族や、少女が世界の未来を担うという展開が意味するものは何だろうか。別々の映画なのに、よく似た設定と結論。この結論をどう受け止めるべきなのだろうか。世界の終りと向き合うヒーロー不在の映画は続く。