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映画・演劇のレビュー

Emotion Factory 『いつもの食卓』

2008-09-20 20:03:05 | 演劇
 とても真面目な芝居だ。登場人物の感情の動きがあまりにストレートすぎて、見ていてちょっと腰が引けてしまうくらいだ。こんなにも単純に物事が運ぶのなら世の中楽だ、と思う。現実にはありえない。しかし、こんなにも真面目な人たちなら、こんなふうになってもいいと思う。真面目な人が損ばかりする世の中で、真面目に生きる人がハッピーエンドを迎える芝居があったっていいではないか。

 いい年した兄と妹が二人で暮らす部屋。まるで若い夫婦のような二人だが、兄は妻子に棄てられてここに転がり込んできたままもう何年も経つ。そんなふたりのところに、兄の友人がやって来る。20年間も世界を旅した彼がひょっこり日本に戻ってきた。彼だけでなく、兄の別れた妻や、2人の母親も来るし、大変だ。そんな中、彼らがそれぞれの人生を歩んでいく姿が描かれる。

 この芝居にはあまりリアリティーはない。様々な問題は描かれてあり、それぞれが心に悩みを抱えているのはわかる。しかし、それが鬱屈していくことなく、とてもストレートに吐露されていく。その結果収まるところにきちんと収まっていく。あまりに都合が良すぎてリアルからは程遠いのだ。ストーリーの展開もパターンから一歩も出ない。しかし、それを演出の猪岡さんは照れることなくとても素直に何の衒いもなく見せるから、なんだかすんなり受け止めざる終えなくなる。こんなに真面目に生きている主人公たち、そしてこの芝居の作家たち(台本は馬場千恵さん)に対して文句なんて何も言えない。

 いつもの食卓で、二人で食事をとっていた時間の愛しさをひとりになった兄が噛み締めるラストを、もう少し情感が抱けるように見せてくれたならよかったのだが惜しい。

 と、ここで終わってもいいけど、さすがにそれでは中途半端なので、もう少し書く。白で統一された舞台美術(写真)は主人公たちのピュアな心情を象徴したものなのか。ラストで部屋の周囲を取り囲んでいた部分が振り落とされていくのも、彼らのふっきれた心情を示すものか。分かろうとすれば分かる気もするが、実はなんだか、この空間の意図が上手く伝わらないのだ。美術は芝居と連動しないとただの飾りにしかならない。金髪ロンゲの中年オヤジの妖精(川上一美さん!)の白タイツ含む全身白の衣装も空間との統一感が図られているのかもしれないがまるで生きない。

 主人公たちの心情がコメディーラインに乗っ取って作られてあるので、話は一応納得はいく、とは先にも書いた。だが、この芝居を通して何を見せたかったのか、伝えたかったものがまるで見えてこないので、実はかなりもどかしいのだ。悪い芝居ではないとは思うが、なんだかいろんな意味でもどかしい。「一緒に走ってみたいと思います。とりあえず、あの角まで。」というコピーが示すものがきちんと伝わったならそれだけでよかったのに、兄の友人と走り出した妹は、その後出てこなくなるし。

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