女性監督である李 玉( リー・ユィー)が、現代の北京を舞台にして、4人の男女が織りなす愛憎劇を見せる。かなりいびつな話だ。登場人物の誰にも感情移入できない。といか、こいつらには嫌悪感を抱く。でも、こんな嫌なやつらのくだらない諍いや駆け引きに魅入られてしまう。
こんな話をなぜ映画にしたのだろうか。まずそこから知りたいと思う。成り金の男とその妻。マッサージパーラーの社長で、妻に隠れて女を買う。そんな男の店で働く女とその夫。この若い2人は田舎の村から大都会である北京にやってきた貧しい移民である。社長が酔った女をレイプして、その現場を偶然窓ふきをしていた彼女の夫が目撃する。(そんな偶然ありか?)
やがて女は妊娠する。時期的には、もしかしたら社長の子供かもしれない。もちろん夫との子供である可能性の方が高い。夫は社長を強請る。社長夫婦には子供がない。最初は当然堕胎するはずだった。だが、結局出産する。社長は自分の子だと信じて、妻との子として育てる。妻は最初は受け入れるが、やはりおもしろくはない。自分の子をとりあげられた女はしばらくは乳母として社長宅に同居する。彼女の夫は大金をせしめて、喜ぶ。だが、だんだん虚しくなる。本当は自分の子供なのに、売り飛ばしたのも自分なのに。そして、子供を取り戻そうとする。
ストーリーを書いていてバカバカしくなる。こんなバカな話ありか、と思う。くだらない4人をただ見つめていくだけ。しかも、ここに書いたのは簡単なあらすじで丁寧に書くともっとあれやらこれやらある。そのすべてがくだらない。北京の街のスケッチが随所に挿入されていく。ドキュメントされる街の風景と、そこで暮らす人たちの姿が、心地よい。それはこのバカな4人のドラマとはまるで関係はないのだが、こんなくだらない愛憎劇が、同じこの町で繰り広げられているのは事実だ。
映画は彼らに感情移入させるわけでも、突き放してみせるわけでもない。実にそっけない。そのそっけなさがこの映画の持ち味なのだ。急速な都市化の中で、拠り所とするものを失い、自分を見失う人たちの姿を4人の哀れな男女を通して見せていく。彼らと彼らの手にした赤ん坊。その子に未来はあるのか。茫洋とした気分にさせられる。
こんな話をなぜ映画にしたのだろうか。まずそこから知りたいと思う。成り金の男とその妻。マッサージパーラーの社長で、妻に隠れて女を買う。そんな男の店で働く女とその夫。この若い2人は田舎の村から大都会である北京にやってきた貧しい移民である。社長が酔った女をレイプして、その現場を偶然窓ふきをしていた彼女の夫が目撃する。(そんな偶然ありか?)
やがて女は妊娠する。時期的には、もしかしたら社長の子供かもしれない。もちろん夫との子供である可能性の方が高い。夫は社長を強請る。社長夫婦には子供がない。最初は当然堕胎するはずだった。だが、結局出産する。社長は自分の子だと信じて、妻との子として育てる。妻は最初は受け入れるが、やはりおもしろくはない。自分の子をとりあげられた女はしばらくは乳母として社長宅に同居する。彼女の夫は大金をせしめて、喜ぶ。だが、だんだん虚しくなる。本当は自分の子供なのに、売り飛ばしたのも自分なのに。そして、子供を取り戻そうとする。
ストーリーを書いていてバカバカしくなる。こんなバカな話ありか、と思う。くだらない4人をただ見つめていくだけ。しかも、ここに書いたのは簡単なあらすじで丁寧に書くともっとあれやらこれやらある。そのすべてがくだらない。北京の街のスケッチが随所に挿入されていく。ドキュメントされる街の風景と、そこで暮らす人たちの姿が、心地よい。それはこのバカな4人のドラマとはまるで関係はないのだが、こんなくだらない愛憎劇が、同じこの町で繰り広げられているのは事実だ。
映画は彼らに感情移入させるわけでも、突き放してみせるわけでもない。実にそっけない。そのそっけなさがこの映画の持ち味なのだ。急速な都市化の中で、拠り所とするものを失い、自分を見失う人たちの姿を4人の哀れな男女を通して見せていく。彼らと彼らの手にした赤ん坊。その子に未来はあるのか。茫洋とした気分にさせられる。