昭和60年代、高度成長期を背景にした家族の物語。大阪グリーン会館のこれだけ作り込んだセットを立て込んだのは凄い。劇団せすんの本気がそこからでも伝わってくる。
「もやし屋」が舞台となる。昭和の時代には、もやし屋なんていうものがあったのか、と初めて知る。これは僕が子ども頃の話なのに、僕はもやし屋なんて知らなかった。小さな頃のいろんなことを思い出しながら芝居を見た。なんだか懐かしい。そんな時代から取り残されていくもやし屋の主人(秋田高志)を中心にして、彼ら家族の姿が暖かいものとして、ちゃんと伝わってくる。
こんな時代もあったのだ。一家団欒がちゃんと機能していた時代。だが、そんな時代も徐々に消えていく。もやし屋がなくなったように。今、町を歩いていて、豆腐屋でも、もうほとんどなくなっていることに気付く。そんなふうにして個人商店はどんどん姿を消す。
秋田さんが演じるもやし屋の主人はいつも居眠りしている。その姿が何度となく繰り返される。しつこいほどに何度となく。そこに時代を象徴させる。でも、それは事実だったのだろう。彼がそこまでして働くのは、ただ、もやしが好きだからだ。この儲けにはならない仕事に誇りを持っている。そんな職人がもうこの世界からはどんどん消えていく。時代が変わったのだからしかたがないことかもしれないけど、寂しい。終盤、ムロに入っていくシーンがとてもいい。暗い場所で「もやしたち」が確かに息づいている。それを主人と、彼に心寄せる女性(井上清美さんが演じる)は、手を携えて見つめる。
この芝居は、そんな失われていくものへの郷愁だけではない。一番伝えたいことは「どんな時代であろうとも、みんなが手を携えて、生きていることが大事なのだ、」というありきたりなメッセージだ。それがちゃんと伝わってくるから嬉しい。作り手の想いがしっかりカタチになっている。