作品の解説にはこうある。≪ 宗教団体「神・水の会」信者で事件を起こした森戸いずみは、鈴木七瀬という女になりすまして逃亡中。なりすました女と、なりすまされた女の話がそれぞれの家族を絡めて展開してゆく。最後になりすました女と、なりすまされた女とが出会う。 ≫ なるほど、これは、とてもわかりやすいあらすじだ。だが、この作品の面白さは、そんなわかりやすさではなく、わかりにくさ、の方にある。
自分じゃない自分になる。自分以外の人間が自分のフリをして生活していた。自分が知らない間に誰かにとって変わられている。
これはとてもスリリングな芝居である。いったいここで何が起きているのか。よくわからないまま、目の前の現実を受け止めていくしかない。誰が何の目的でそんなことを、するのか、わからない。そこがおもしろい。
菊池直子の事件をモデルにしている。だから最初は宗教団体の集会のシーンから始まるし、そういう意味では分かりやすい。最後にも同じようにマントをかぶった信者たちが集まる教団の集会がある。だが、この芝居が描くものはそういう実際の事件に取材した社会派ドラマではない。もっと普遍的な関係を描く。どちらかというと、安部公房の小説のようなお話だ。この設定から自由に妄想をふくらましていく。相手が自分になるのなら、自分も相手になる。今ある現実を乗り越えていくために。
自分が自分を見ている。全く別人の自分がそこにはいる。自分が別人として振舞う。今の自分は自分ではないから。これはものすごく危うい自己存在についての考察だ。自分に自信を持てないから、宗教に走る。自分を認めてもらいたい。水のような存在になろうと、教祖は言う。水はさまざまなものに、姿を変える。冷やすと、固まって氷になり、温めると、蒸気にもなる。こういう切り口で見せられると、ドキドキさせられる。話がどこに行くのか、読めないのがいい。誰かになり変わって、偽りの人生を生きること、知らぬ間に自分の人生を乗っ取られていたことに気づくこと。自分が誰なのか、それすら曖昧になっていく。そこがスタートなのか、ゴールなのか。これはこの宗教団体が何をやっていたのかを描くものではない。ふわふわしていて、つかみどころがない。ストーリーの説明がしにくい。でも、ずっと緊張しながら、舞台から目が離せない。そこがとてもいい。
自分じゃない自分になる。自分以外の人間が自分のフリをして生活していた。自分が知らない間に誰かにとって変わられている。
これはとてもスリリングな芝居である。いったいここで何が起きているのか。よくわからないまま、目の前の現実を受け止めていくしかない。誰が何の目的でそんなことを、するのか、わからない。そこがおもしろい。
菊池直子の事件をモデルにしている。だから最初は宗教団体の集会のシーンから始まるし、そういう意味では分かりやすい。最後にも同じようにマントをかぶった信者たちが集まる教団の集会がある。だが、この芝居が描くものはそういう実際の事件に取材した社会派ドラマではない。もっと普遍的な関係を描く。どちらかというと、安部公房の小説のようなお話だ。この設定から自由に妄想をふくらましていく。相手が自分になるのなら、自分も相手になる。今ある現実を乗り越えていくために。
自分が自分を見ている。全く別人の自分がそこにはいる。自分が別人として振舞う。今の自分は自分ではないから。これはものすごく危うい自己存在についての考察だ。自分に自信を持てないから、宗教に走る。自分を認めてもらいたい。水のような存在になろうと、教祖は言う。水はさまざまなものに、姿を変える。冷やすと、固まって氷になり、温めると、蒸気にもなる。こういう切り口で見せられると、ドキドキさせられる。話がどこに行くのか、読めないのがいい。誰かになり変わって、偽りの人生を生きること、知らぬ間に自分の人生を乗っ取られていたことに気づくこと。自分が誰なのか、それすら曖昧になっていく。そこがスタートなのか、ゴールなのか。これはこの宗教団体が何をやっていたのかを描くものではない。ふわふわしていて、つかみどころがない。ストーリーの説明がしにくい。でも、ずっと緊張しながら、舞台から目が離せない。そこがとてもいい。