寺地はるなの最新刊だ。楽しみにして読んだのだが、なのに今回はあまり乗れなかった。こんなことはめったにないことだ。これもまた最近はやりのコロナ禍の話だ。最近の映画や小説はコロナばやり。要するにようやくコロナを描くことが可能になったということなのだ。もちろんコロナが収束したわけではない。それどころか今も変わらない日常は続いている。来月からは2023年ではなくコロナ4年目に入る、と言ってもよかろう。まだまだ日本ではウィズコロナの日々は続くのだ。そんな時代を背景にしてこの小説は2020年(コロナ元年)を描く。あまり気分のいい小説ではないことは確かだ。だけど、ここに描かれることは大事なことだと思う。だからといって描くのはコロナ自身ではない。人と人との関係性のお話だ。普遍的な問題だけど、それがコロナ禍だから生じたこと。小さなお話。でも、いや、だからここから目を背けない。
2020年7月23日の原田清瀬のお話からスタートする。描かれるのはその日からたった3日間の出来事が中心だ。事故にあった恋人の顛末が明らかになる。彼が秘密にしていたこと。些細なことだ。でも、彼はそれを彼女に言わなかった。隠していた。だから彼女は誤解してしまう。取り返しのつかないことになる。こんなくらい、と思っていたのかもしれない。ならばちゃんと話してもいいではないか、とも思う。でも、そこから綻びが生じるのなら、今は言わないという選択をした。恋人を大事にするから、ではない。友情をもっと大事にしたからだ。それもまた裏切りの一種だったのかもしれない。7月23日、松木圭太は、親友のためにケガをした。なぜそんなことになったのかが回想で描かれる。第3章「1月4日の松木圭太」を挟んで、ラストの「10月25日の原田清瀬と松木圭太」まで。描かれるのは些細な行き違いと和解。
圭太と彼の親友の樹との関係。そこに樹の恋が絡んでくる展開。樹のやさしさに付け込む女性。誰が悪いのかではなく、自分が何をするべきなのかをしっかりと見つめることが大事なのかと思う。
コロナが前面には押し出されないのに、この閉塞感はコロナのためだとはっきりとわかる。世の中が変わった。こんな時代だからこそ、人と人とが寄り添うために何が必要なのかが問われる。至近距離でちゃんと向き合えないなら、どういうふうに相手と向き合うか。自分と相手は違う存在だ。だからこそちゃんと向き合いたい。自分の価値観を押し付けるのではなく、ちゃんと見守り、話し合う。その先に明日がある。必ずしも、後味はよくないけど、これは確かな大事な問題を提示する。