フランソワ・オゾン監督の『8人の女たち』はアンサンブルが素晴らしい作品で面白かったが、それを真紅組がどう作るのか、興味津々。諏訪さんはいつものように手堅い演出で、華やかで軽妙なタッチの味のある作品に仕立てた。映画はあまりオゾンらしい作品ではなく、毒気が足りないと思ったが、このお話は芝居として作ると、このくらいの噓臭さが程よい。
犯人探しよりも、女たちのそれぞれの思惑が交錯した女たちの確執(でも、それがドロドロにはならないくらいの)が面白く、オチも含めて、バランスよく作られてある。そこは原作自身の持ち味なのだろうが、諏訪さんの匙加減のうまさ、と言ってもよいだろう。本公演の時もそうだが、彼は役者の持ち味をうまく生かし、でしゃばらない演出をする。裏方に徹して、でも、ちゃんと作品世界を生かし切る。ある意味ではこれはオゾンによる映画作品よりもよくできている、と言ってもいいのではないか。
オゾンはバランス感覚の悪さが身上で、居心地の悪さこそが彼の持ち味なのだが、こと『8人の女たち』に関しては普段のそんな持ち味は影を潜めて、ミュージカル・スタイルも含めて、演出家に徹していた。そこが不満だった。
だが、それはこの物語自体がリアリティのないお話で、雪の中に閉ざされた屋敷で起こる殺人という虚構のドラマよりも、女たちの対決を通して観客をもてなすエンタメのドラマだという判断をしたからだろう。いつもの居心地も悪さはなく、不気味さはなく、へんにあっさりした映画は中途半端で、なんだか物足りなかった。
それに対して、この諏訪作品は、最初からエンタメに徹して、100分間をちゃんと楽しませてくれたのだ。潔い。ただ惜しむらくは女優たち、だ。彼女たちがあと少し個性をむき出しにして、きちんとしたバトルが舞台上でなされたなら、もっと面白くなったのだろうが、なぜか少しみんな遠慮がち。作品全体のバランスに気を取られすぎて、そつなくこなしたという印象だ。その点が残念である。
犯人探しよりも、女たちのそれぞれの思惑が交錯した女たちの確執(でも、それがドロドロにはならないくらいの)が面白く、オチも含めて、バランスよく作られてある。そこは原作自身の持ち味なのだろうが、諏訪さんの匙加減のうまさ、と言ってもよいだろう。本公演の時もそうだが、彼は役者の持ち味をうまく生かし、でしゃばらない演出をする。裏方に徹して、でも、ちゃんと作品世界を生かし切る。ある意味ではこれはオゾンによる映画作品よりもよくできている、と言ってもいいのではないか。
オゾンはバランス感覚の悪さが身上で、居心地の悪さこそが彼の持ち味なのだが、こと『8人の女たち』に関しては普段のそんな持ち味は影を潜めて、ミュージカル・スタイルも含めて、演出家に徹していた。そこが不満だった。
だが、それはこの物語自体がリアリティのないお話で、雪の中に閉ざされた屋敷で起こる殺人という虚構のドラマよりも、女たちの対決を通して観客をもてなすエンタメのドラマだという判断をしたからだろう。いつもの居心地も悪さはなく、不気味さはなく、へんにあっさりした映画は中途半端で、なんだか物足りなかった。
それに対して、この諏訪作品は、最初からエンタメに徹して、100分間をちゃんと楽しませてくれたのだ。潔い。ただ惜しむらくは女優たち、だ。彼女たちがあと少し個性をむき出しにして、きちんとしたバトルが舞台上でなされたなら、もっと面白くなったのだろうが、なぜか少しみんな遠慮がち。作品全体のバランスに気を取られすぎて、そつなくこなしたという印象だ。その点が残念である。