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映画・演劇のレビュー

『ロッキー・ザ・ファイナル』

2007-04-14 08:31:02 | 映画
 30年の歳月を経て、今更ロッキーを作ってしまうシルベスター・スタローンには恐れ入った。三つ子の魂百まで、というが、それは彼の事を言った言葉だろう。この映画に続いて今度はランボーの新作も撮っているらしい。それってブルース・ウイリスが『ダイハード4.0』に出る事とは全く意味が違う。一役者に過ぎないブルースと脚本家であり監督でもあるスタローンでは作品に対する思い入れが全く違うのだ。

 作品に対してスマートに向き合い、ある程度クールになれるブルースと違いスタローンは、とてもどんくさいまでに熱く泥臭い。ロッキー1本でスターダムにのし上がってきた彼は不器用で、なかなか映画界に馴染めず、誤解もたくさん受け、作品の幅を広げようとしても失敗が多く、結局「ロッキーの人」というレベルから一生涯逃れられず60代を迎えてしまった。

 しかし、彼はそれを名誉なことと思っている。確かに居直りもある。だが、ロッキーを作り映画界で夢を実現したのだ。その事実は消えない。過去の栄光に浸っているのではない。そのことを忘れず大事にしているのだ。そして、またその看板を大切にして、60になった今、またもやロッキーに挑戦する。団塊の世代が泣いて喜ぶヒーローぶりである。

 このシリーズ第6作目の原題は『ロッキー・バルボア』。主人公のフルネームをタイトルに冠したこの映画は、なんと60歳になろうとするロッキーがまたもや現役のヘビー級チャンピオンに対決を挑むという「とんでも映画」である。呆れるしかない。笑うしかない。でもそれを本気でする。リアリティーなんて置いといて映画は作られる。老いたスタローンのくたびれた顔と、鍛えた身体。それが全てだ。

 向かうところ敵なしで、ピカピカの若者に、ヨレヨレのおじんが、根性だけでファイトを挑み、なんと互角以上の戦いを見せてしまうクライマックスは、興奮するやら、あきれるやらで、もう見てもらうしかない。

 前半はかなりたるくて眠いけど、スタローンの本気と付き合う気さえあれば、何とか乗り切れるはず。

 思えば今から30年前である。アメリカンドリームを夢見たイタリアからの移民であるスタローン青年が、この1本の映画でそれを実現してしまった。そしてそこには、このシリーズ第1作(あの時はこれがシリーズになるなんて誰も思いもしなかった)に素直に感動した10代の広瀬少年がいた。

 あの年のキネ旬ベストワンはこの映画と高倉健の『幸せの黄色いハンカチ』の2本だった。あの時は前年の『タクシードライバー』+『青春の殺人者』という刺激的なベストワンからなんてお気楽なベストワンに堕したのかと若い広瀬は憤慨していた。しかし、本当は『ロッキー』+『幸せの黄色いハンカチ』にも感動して泣いてしまったのをあの頃は、隠してた。

 あれから30年。スタローンも健さんも相変わらず寡黙で不器用ながら、今も現役の大スターとして銀幕に君臨している。1977年、人々は単純に幸福を信じた。あれから30年。先の見えない不安な時代の中で、それでもスタローンはロッキーを演じ続けていく。

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