なんとも不思議なお芝居だ。捉えどころがない。だが、それは嫌、ではない。これは作、演出の梅木トマコさんそのもののような芝居だ。月曜倶楽部の「若手作家応援シリーズ特別編 2009チャレンジ」前夜祭で少しお話した時の雰囲気そのままの芝居だったのだ。
「錯乱しているくらいがちょうど良い」と当日パンフの挨拶文の冒頭にトマコさんが書いている。ここに書かれた彼女の文が、そのまま芝居になっている。この芝居の緩さは彼女の雰囲気がよく出ている。
女はテーブルに突っ伏して寝ている。こんなところで平気で寝れるなんて、不思議な女だ。芝居は、この後、この女(部屋を借りるためにここに来た女)と不動産屋の男との会話から始まる。不動産屋の男はこの部屋に幽霊が出ると言う。彼女は、見に来た部屋で居眠りする。
もうひとりの女は、テーブルの下でうずくまっている。彼女のところに様子を見るために友達がやって来る。その友人が話すには、彼女はもう部屋からでないことにしたらしい。なぜ、そうなったのか。わからない。
この二人のお話だ。だが、関係ないいくつものエピソードが羅列されているようにも見える。それらはたぶん、最初のこの二人の話のバリエーションである。部屋の中から一歩も出ない、ということが共通する。描けなくなった漫画家と編集者。引きこもりの女とその友人。漫画家とひきこもりは先生とアシスタントの関係でもある。三人の女と一人の男。登場人物は計四人。彼らがそれぞれ2役を演じるようだが、四人の関係がシャッフルされてなんだかよくわからないまま、「部屋、漫画、ひとり」という図式だけが残る。開け放たれた窓。外と内。ここから出られない女。そんなイメージの連鎖からこの芝居は構成される。
アシスタントの女は編集者に「先生はいない」と言う。原稿はまだ、描かれてないのに、いなくなった、と。そして、自分が描いている未完成の漫画を編集さんに見せようとする。だが、そこに先生がやってきて、編集担当に「原稿ならもう出来てるから」と言う。アシスタントがしかたなく担当にそれを渡す。だが、原稿は一枚だけ紛失している。なくなった原稿はテーブルの上で発見されるが、お茶かなんかで汚れていて描き直さなくては使えない。だから、描き直さなくてはならない。
こんなふうに書いても実は詮無い。そんなあらすじのようなものはどうでもいいことなのだ。これはほんとにとらえどころのない芝居だ。難解だ、というわけではない。どちらかというと、すっきりした見せ方をしている。だが、しっくりはこない。とてももどかしい。わかるようでわからない。わざとそういう作り方をしている。別に観客を煙に巻こうというのではない。とても自然にそうなるようだ。作者が感性の赴くまま、作っている。
芝居の帰りの電車の中に、口を開けたまま上を向いて寝ている若くてきれいな女がいた。その女のあの無防備さとこの芝居は似ている。疲れているのかもしれないが、それはないだろ、と思う。若くてきれいな女が、それをしたらおしまいよ、と思う。だが、彼女は平気でずっと寝ている。もちろん誰も何も言わない。せめて、口を閉めていて欲しかった。あるいはそんな自分に気づいて欲しい。でも、彼女はずっとそのままである。
この芝居はそんな彼女とほんとによく似ている。とても刺激的な芝居だ。しかし、それだけでは芝居として成立しない。あと少し、ここに提示したものに、方向付けが欲しい。そうすることで見えてくるものを大切にしたい。とてもおもしろいから、彼女が(それは当然トマコさんでもある)どこを見ているのか知りたい。
「錯乱しているくらいがちょうど良い」と当日パンフの挨拶文の冒頭にトマコさんが書いている。ここに書かれた彼女の文が、そのまま芝居になっている。この芝居の緩さは彼女の雰囲気がよく出ている。
女はテーブルに突っ伏して寝ている。こんなところで平気で寝れるなんて、不思議な女だ。芝居は、この後、この女(部屋を借りるためにここに来た女)と不動産屋の男との会話から始まる。不動産屋の男はこの部屋に幽霊が出ると言う。彼女は、見に来た部屋で居眠りする。
もうひとりの女は、テーブルの下でうずくまっている。彼女のところに様子を見るために友達がやって来る。その友人が話すには、彼女はもう部屋からでないことにしたらしい。なぜ、そうなったのか。わからない。
この二人のお話だ。だが、関係ないいくつものエピソードが羅列されているようにも見える。それらはたぶん、最初のこの二人の話のバリエーションである。部屋の中から一歩も出ない、ということが共通する。描けなくなった漫画家と編集者。引きこもりの女とその友人。漫画家とひきこもりは先生とアシスタントの関係でもある。三人の女と一人の男。登場人物は計四人。彼らがそれぞれ2役を演じるようだが、四人の関係がシャッフルされてなんだかよくわからないまま、「部屋、漫画、ひとり」という図式だけが残る。開け放たれた窓。外と内。ここから出られない女。そんなイメージの連鎖からこの芝居は構成される。
アシスタントの女は編集者に「先生はいない」と言う。原稿はまだ、描かれてないのに、いなくなった、と。そして、自分が描いている未完成の漫画を編集さんに見せようとする。だが、そこに先生がやってきて、編集担当に「原稿ならもう出来てるから」と言う。アシスタントがしかたなく担当にそれを渡す。だが、原稿は一枚だけ紛失している。なくなった原稿はテーブルの上で発見されるが、お茶かなんかで汚れていて描き直さなくては使えない。だから、描き直さなくてはならない。
こんなふうに書いても実は詮無い。そんなあらすじのようなものはどうでもいいことなのだ。これはほんとにとらえどころのない芝居だ。難解だ、というわけではない。どちらかというと、すっきりした見せ方をしている。だが、しっくりはこない。とてももどかしい。わかるようでわからない。わざとそういう作り方をしている。別に観客を煙に巻こうというのではない。とても自然にそうなるようだ。作者が感性の赴くまま、作っている。
芝居の帰りの電車の中に、口を開けたまま上を向いて寝ている若くてきれいな女がいた。その女のあの無防備さとこの芝居は似ている。疲れているのかもしれないが、それはないだろ、と思う。若くてきれいな女が、それをしたらおしまいよ、と思う。だが、彼女は平気でずっと寝ている。もちろん誰も何も言わない。せめて、口を閉めていて欲しかった。あるいはそんな自分に気づいて欲しい。でも、彼女はずっとそのままである。
この芝居はそんな彼女とほんとによく似ている。とても刺激的な芝居だ。しかし、それだけでは芝居として成立しない。あと少し、ここに提示したものに、方向付けが欲しい。そうすることで見えてくるものを大切にしたい。とてもおもしろいから、彼女が(それは当然トマコさんでもある)どこを見ているのか知りたい。