今回の舞台は、五條會館五條楽園歌舞練場というところだ。遊劇体の泉鏡花オリジナル戯曲全作品上演シリーズ第6弾である。毎回違うアプローチで見せるキタモトさんが今回拘ったのはこの場所である。この普通の劇場ではない特殊な空間で見せることに意味がある。
10本の柱が立てられてあるが、基本的にはこの歌舞練場をそのまま生かした空間で演じられる。そりゃそうだろう。わざわざこの空間を選んだわけは、この場が持つ力を最大限に発揮するようにして芝居を作るためだ。だからそれは当然のアプローチなのである。それに、だいたいに於いて最近の遊劇体はシンプルな装置で役者の力を前面に押し出して作るというのがパターンとなっている。今回も、その流れを汲んでいる。
だから狂言のスタイルを踏むこともこの場にふさわしい。今回の特徴は今までとは違い笑える作品になっているところか。そこもかなり意図的だ。凄惨な話なのに、そこを強調することはない。反対にバカバカしさすら視野に入れて構成する。
台本自体は到ってシンプルなもので、今までこれが上演されなかったのもよくわかる。鏡花戯曲の上演なら『夜叉が池』や『天守物語』がある以上わざわざ大同小異のこの作品を選ぶ必要はない。作品自体の完成度はこの2本の方が上である。但し、現存する全作品上演を目指す遊劇体にとってはこの戯曲を舞台化することがまず大前提で、そのために必要な料理法が優先する。
キタモトさんは今回どんな腕を披露してくれたのか。彼は同じやり方はしない。だが既にこれで6本目である。新しい切り口なんかもうないのではないか、と思う。しかし果敢にも思いもしないところからその方法を見出してくる。
場の持つ力を利用する。その結果、今まで以上にシンプルな芝居を目指す。古典的アプローチが題材とも空間とも見事にマッチする。しかも凄惨な話を笑いの転化することで、全体を軽やかにまとめあげる。終盤になってようやく媛神が現れるのだが、彼女の登場からラストまでが実に楽しい。
10本の柱が立てられてあるが、基本的にはこの歌舞練場をそのまま生かした空間で演じられる。そりゃそうだろう。わざわざこの空間を選んだわけは、この場が持つ力を最大限に発揮するようにして芝居を作るためだ。だからそれは当然のアプローチなのである。それに、だいたいに於いて最近の遊劇体はシンプルな装置で役者の力を前面に押し出して作るというのがパターンとなっている。今回も、その流れを汲んでいる。
だから狂言のスタイルを踏むこともこの場にふさわしい。今回の特徴は今までとは違い笑える作品になっているところか。そこもかなり意図的だ。凄惨な話なのに、そこを強調することはない。反対にバカバカしさすら視野に入れて構成する。
台本自体は到ってシンプルなもので、今までこれが上演されなかったのもよくわかる。鏡花戯曲の上演なら『夜叉が池』や『天守物語』がある以上わざわざ大同小異のこの作品を選ぶ必要はない。作品自体の完成度はこの2本の方が上である。但し、現存する全作品上演を目指す遊劇体にとってはこの戯曲を舞台化することがまず大前提で、そのために必要な料理法が優先する。
キタモトさんは今回どんな腕を披露してくれたのか。彼は同じやり方はしない。だが既にこれで6本目である。新しい切り口なんかもうないのではないか、と思う。しかし果敢にも思いもしないところからその方法を見出してくる。
場の持つ力を利用する。その結果、今まで以上にシンプルな芝居を目指す。古典的アプローチが題材とも空間とも見事にマッチする。しかも凄惨な話を笑いの転化することで、全体を軽やかにまとめあげる。終盤になってようやく媛神が現れるのだが、彼女の登場からラストまでが実に楽しい。