19,20歳の頃の不安と憂鬱。そんなものから遠く離れてしまったけど、この小説を読みながら久しぶりにあの頃に想いを馳せることが出来た。自分が何者でもなく、(というか、今でも何者にもなれてないんですけど)、ただ漠然と将来に不安を抱いていた日々。夢なんかない。現実に押し潰されて、自分にはムリ、と思うこと。それしか、なかった。才能もないし、ただ人並みに生きれたなら、それだけで充分だ、と思いつつも、でも、それすら叶わないかもしれない、と思っていた。もちろん、ほんのちょっとしたプライドはある。自信も、ないわけではない。でも、それは、自分への言い訳でしかなく、現実には何も為さない、つまらない人間でしかない。
この小説の19,20歳たちは、みんなそれぞれ必要以上にコンプレックスを抱いている。もっと、ノーテンキでもいいじゃないか、と今の僕なら思う。そこまで気にすることではない、と言ってあげたい。でも、あの頃の僕なら、きっとこの子たちと同じだ。いや、もっといじけている。
好きな子に好きと言えない。だから、ただ、一緒にいられるだけで幸せだ、と思う。でも、そんなのはただの言い訳でしかないことは本人が一番よく自覚している。兄への、妹への、双子の姉妹への、幼なじみへの、抱える想いは伝えられない。たとえ言葉にしたとしても、意味はない。そんなことじゃないんだ、とその場ですぐに否定するだけだろう。
ラストで、夜中に忍び込んだ大学で、そこに飾られてある兄の描いた絵を破る妹。それは『彼女の将来』と題された自分が踊る姿を描いた作品だ。あれは、あの頃(高校時代)の自分だ。ほんの少し前。でも、今では遠い昔のことだ。あんなにも自分に自信を持てた無邪気な時代。あれからまだたった1,2年しかたってないのに。今の自分はこんなではない。そこまで傷つくことはない。でも、本人はこれでもう精一杯だ。
同じ頃、それぞれの場所、5人の男女が自分を訴えかけてくる5つの短編連作。痛ましい彼らの姿を見つめながら、いくらでも傷つけばいい、と思う。そんなふうに思える時代を、いつか、愛おしいと思える日がくればいい。その日まで全力で傷つけ!
このまだ若い作者が、同時代を生きる人たちの姿をこんなにも冷静に書けるって、なんだか凄いことだ。普通ならもっと鼻につくところだろう。でも朝井リョウはとても自然体だ。
この小説の19,20歳たちは、みんなそれぞれ必要以上にコンプレックスを抱いている。もっと、ノーテンキでもいいじゃないか、と今の僕なら思う。そこまで気にすることではない、と言ってあげたい。でも、あの頃の僕なら、きっとこの子たちと同じだ。いや、もっといじけている。
好きな子に好きと言えない。だから、ただ、一緒にいられるだけで幸せだ、と思う。でも、そんなのはただの言い訳でしかないことは本人が一番よく自覚している。兄への、妹への、双子の姉妹への、幼なじみへの、抱える想いは伝えられない。たとえ言葉にしたとしても、意味はない。そんなことじゃないんだ、とその場ですぐに否定するだけだろう。
ラストで、夜中に忍び込んだ大学で、そこに飾られてある兄の描いた絵を破る妹。それは『彼女の将来』と題された自分が踊る姿を描いた作品だ。あれは、あの頃(高校時代)の自分だ。ほんの少し前。でも、今では遠い昔のことだ。あんなにも自分に自信を持てた無邪気な時代。あれからまだたった1,2年しかたってないのに。今の自分はこんなではない。そこまで傷つくことはない。でも、本人はこれでもう精一杯だ。
同じ頃、それぞれの場所、5人の男女が自分を訴えかけてくる5つの短編連作。痛ましい彼らの姿を見つめながら、いくらでも傷つけばいい、と思う。そんなふうに思える時代を、いつか、愛おしいと思える日がくればいい。その日まで全力で傷つけ!
このまだ若い作者が、同時代を生きる人たちの姿をこんなにも冷静に書けるって、なんだか凄いことだ。普通ならもっと鼻につくところだろう。でも朝井リョウはとても自然体だ。