習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『おかえり、はやぶさ』

2012-03-24 23:27:38 | 映画
 この作品については、先の『はやぶさ 遥かな帰還』の項でも少し触れた。三作品競作の最終作品だ。今回の売りは3Dと、子供目線ということなのだが、予想以上に悲惨なことになった。作品的にも、そうだが、まず興行的に惨敗を喫した。そんなこと、最初からわかりきったことだったが、それでもここまで人が入らないと、製作会社はショックだろう。三作品ともに沈没したが、それでもまだ先の2作品はましだ。作品的には、ある種の成功はしていたし、それなりのお客も摑めたはずだから。でも、これはすべての面で討ち死にである。

 ダメな映画は、封切り2週目でほぼ撤収に近い状態になるというのが、シネコン時代の常だが、ここまであからさまなのも、珍しい。一応これは春休み向けの大作映画なのだ。なのに、春休みを前にして上映はほぼ終了する。(ようだ)この映画を楽しみにしていたお子さまは、どうなるのだろうか。(まぁ、そんなのは、いないだろうけど。ほとんど)

 この作品の失敗は主人公を子供に限定しなかったことだ。まえだまえだの前田旺志郎くんを呼んできているのだから、彼の目線から、すべてを作るべきだった。そうすることで、今までの2作品とは違う映画に出来たはずだ。是枝裕和監督の『奇跡』のようなアプローチをすべきだったのだ。なのに、中途半端なことをするから、なんだか[ダイジェスト『はやぶさ』]って、感じになる。これでは先の2作品のあとだから、まるで精彩を欠く。

 この作品ならではのアプローチが欲しい。それは「3D」映画ということではないだろ。今時3Dなんか掃いて捨てるほどあるのだ。わざわざ3Dにするだけで、ハンディーを抱え込むことにすらなりかねないのだ。この映画はいろんな意味で後手に回った。

 本木克英監督はいい意味での職人監督で、丁寧な仕事をする。今回だってそういう意味では決しておざなりの映画ではない。だが、先の2作品のスケールと比較すると、いろんなことがあまりにちゃちくて、がっかりする。まっこう勝負は避けて「お子様ランチ」としての矜持を守ることで、新たな視点を獲得できたはずだ。差別化はこの際絶対必要だ。もちろんそれだけでは意味はない。何をしたかったのか、それだけでも伝えて欲しかった。三浦友和と藤原竜也の親子の話にあれだけ比重がかかるのも、作り手の迷いであろう。

 はやぶさプロジェクトの映画化なんて、こんなにも重大なことだったのだろうか。完全に観客にそっぽをむかれたこれらの作品が、なんだかかわいそうに思える。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 角田光代『かなたの子』 | トップ | 朝井リョウ『もういちど生ま... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。