角川映画創立40周年記念作品、ということだ。角川映画史上最大のヒットとなった薬師丸ひろ子主演、相米慎二監督作品『セーラー服と機関銃』(81)のリメイクではなく、なんとこれは続編なのである。そんな大それた企画を引き受けた前田弘二監督は、実に勇気がある。主役を演じた橋本環奈も凄い。あの時代一世を風靡したスーパーアイドル薬師丸ひろ子に挑むのだ。大胆にも程がある。
そういうことで、期待に胸膨らませて劇場に赴く。しかし、そこにはなんとお客がいない。公開からまだ3日目の劇場は閑散としている。あの大ヒット作が、見る影もない。まぁ、あの頃と今とでは時代も違う。『セーラー服と機関銃』に熱狂した若者はもう50代になっていて、今更そんな映画を見ない。しかも、ヒロインは薬師丸ではない。まぁ、今、薬師丸がセーラー服なんか着たら、気持ちが悪いけど。
前作のその後を描く。目高組を解散して堅気に戻った星泉が、堪忍袋の緒を切らして、再び機関銃を持つことになる。さらには、ラストで無事学業を修めた彼女が高校を卒業していく。(それはもう、取ってつけたようなラストシーンでしらける)
映画はまるでつまらない。なんのために作ったのか、わけがわからない代物だ。だいたいこれは青春映画ではなく、出来損ないのヤクザ映画だ。お話だけ見てると、健さん池部の任侠映画を見てる気分。でも、それがなんだかチープでキッチュ。いや、ただただ嘘くさいだけ。コメディにすらなってない。では、シリアスか、というと、冗談でしかない。女子高生が青春を任侠に捧げる眩しい青春映画、ではない。
組長が女子高生であるということを除けば、昔よくあった3流ヤクザ映画の鉄板。シマ争い、外から新興やくざが汚い手でシマ内を荒らす。もうヤクザから足を洗っていた組長が、最後は再びドス(彼女の場合は機関銃だけど)を持ち、単身(この映画では長谷川博巳と武田鉄矢の2人を従えて、だが。池部良ではなく)乗り込み、憎っくき敵を皆殺しにする。
そこに取ってつけたように、「カ、イ、カン」と言わせる。全然快感ではないんですけど。陳腐なお話には、なんの説得力もない。敵役の安藤政信なんてあんな芝居をさせられて可哀想。どういう理由で今の時代にこんな映画を作ろうとしたのか、教えて欲しい。ヤクザ映画自体がもう作られなくなって久しい。そこにここまで時代錯誤した変形ヤクザ映画もどきを作って何の意味があるのか。こんなものに、誰も興味を示さないだろう。閑古鳥の鳴く(今時こんな言い方もしないかぁ)映画館では、数少ない若い観客の目にこれはどう写ったか。橋本環奈のファンはこれに満足したか。
当時は女子高生がヤクザの組長になる、という設定が大胆で受けたのだが、今時、このアイデアには何の魅力もない。しかも、映画は彼女がどんなふうにやくざたちと渡り合うのか、そこをまるで説得力のない描写しか出来ないから、ドキドキしない。ヤクザごっこにしか見えない。映画としてのカイカンには程遠い。