こんなにもさりげない会話劇を芝居にして見せようとする横山拓也さんの挑戦(これは十分挑発的で、挑戦的な試みだ)を目撃できたよかった。別に力瘤を入れたわけではない。でも、このあまりに日常の一風景でしかない内容に驚く。
どこかの喫茶店でのOLの会話を盗み聞きしてそれをそのまま台本にしたのではないか、と思えるくらいに生々しい。しかも、それ以上の何かはない。「えっ、それだけですか?」 と言いたくなるほどにさりげないのだ。演劇なのだから、ドラマは欲しいよね、なんていう人を嘲笑うがごとくに、いや、これはこれだけなんです、としれっと終わらせる。テーマとか、ないし。
では、何のためにこんな芝居を作るのか。日常のほんの少しの風景が実はとてもドラマチックなものだ、という発見を知らしめるためだ。僕たちの身の回りにはいくつものドラマが転がっている。ほんの少しの会話から、芝居は生まれる。でも、そんなのがおもしろいのか、と言われると、だから、これを見てください、と胸を張ることが出来る。これはそんな芝居なのだ。
3人のアンサンブルがすばらしい。何もしていないように見えるのがいいなんて、褒め言葉にならないようなことしか言えないくらいに、自然体でいい。だから、劇場は喫茶店でそのまま公演するのがいい。しかもそこは飾り立てたごてごてした空間ではなく、そっけないほどいい。だからこのCommon caféという空間がぴったりなのだ。
自分たちの日々をもう一度見つめなおすことにもなる。人間関係のいざこざで頭を悩ます人は多いだろう。職場でのそれがとくにストレスとなる。この作品が描くのはそこだ。女たちだけの会話劇というのもいい。男がはいるとどうしても話がややこしくなる。本音では話せなくなる。それはそれでおもしろい芝居になるだろうが、これはもっとスモールサイズの芝居だ。
最初は2人の会話、そこに遅れてきたもうひとりが加わる。同僚の結婚式の余興でする出し物を決める。実はあまり乗り気ではない。一緒に出し物をするはずのもう一人の仲間が事故に合い、入院している。しかも、ひどい状態だ。だから、あまりはしゃぐ気分ではない。そんな状況下でのそれぞれの今の気分がぶつかり合う。だが、それで、3人の想いがどこかに向かうわけではない。結局はどこにもたどりつかない。もやもやした気分が残るばかりだ。だが、そこがおもしろい。
現実世界でもそんな簡単な答えは出ないのに、芝居というだけで答えを出そうとするのはおかしいから、横山さんは正直に答えなんか出さない。なのに、おもしろいのは、ここにはどこにでもあるリアルな現実のパターンがあるからだ。それがこんなにも新鮮に見えるのは、そこにある普遍性を1本のドラマとして昇華させたからだろう。等身大の自画像をそこに見る。それはある種の発見なのである。
どこかの喫茶店でのOLの会話を盗み聞きしてそれをそのまま台本にしたのではないか、と思えるくらいに生々しい。しかも、それ以上の何かはない。「えっ、それだけですか?」 と言いたくなるほどにさりげないのだ。演劇なのだから、ドラマは欲しいよね、なんていう人を嘲笑うがごとくに、いや、これはこれだけなんです、としれっと終わらせる。テーマとか、ないし。
では、何のためにこんな芝居を作るのか。日常のほんの少しの風景が実はとてもドラマチックなものだ、という発見を知らしめるためだ。僕たちの身の回りにはいくつものドラマが転がっている。ほんの少しの会話から、芝居は生まれる。でも、そんなのがおもしろいのか、と言われると、だから、これを見てください、と胸を張ることが出来る。これはそんな芝居なのだ。
3人のアンサンブルがすばらしい。何もしていないように見えるのがいいなんて、褒め言葉にならないようなことしか言えないくらいに、自然体でいい。だから、劇場は喫茶店でそのまま公演するのがいい。しかもそこは飾り立てたごてごてした空間ではなく、そっけないほどいい。だからこのCommon caféという空間がぴったりなのだ。
自分たちの日々をもう一度見つめなおすことにもなる。人間関係のいざこざで頭を悩ます人は多いだろう。職場でのそれがとくにストレスとなる。この作品が描くのはそこだ。女たちだけの会話劇というのもいい。男がはいるとどうしても話がややこしくなる。本音では話せなくなる。それはそれでおもしろい芝居になるだろうが、これはもっとスモールサイズの芝居だ。
最初は2人の会話、そこに遅れてきたもうひとりが加わる。同僚の結婚式の余興でする出し物を決める。実はあまり乗り気ではない。一緒に出し物をするはずのもう一人の仲間が事故に合い、入院している。しかも、ひどい状態だ。だから、あまりはしゃぐ気分ではない。そんな状況下でのそれぞれの今の気分がぶつかり合う。だが、それで、3人の想いがどこかに向かうわけではない。結局はどこにもたどりつかない。もやもやした気分が残るばかりだ。だが、そこがおもしろい。
現実世界でもそんな簡単な答えは出ないのに、芝居というだけで答えを出そうとするのはおかしいから、横山さんは正直に答えなんか出さない。なのに、おもしろいのは、ここにはどこにでもあるリアルな現実のパターンがあるからだ。それがこんなにも新鮮に見えるのは、そこにある普遍性を1本のドラマとして昇華させたからだろう。等身大の自画像をそこに見る。それはある種の発見なのである。