またこういう小説を書く。重松清はいつも同じだ。同じものを延々と書く。だがそれはマンネリになることはない。なぜなら彼の中でこの同じ話は永遠に今の彼にとっての最重要課題だからだ。繰り返し繰り返し彼は自分と家族のことを書く。
今回は父と息子の成長の物語だ。昭和30年代の終わりから平成までを背景に子供の誕生から、彼が妻子を作り独立していくまでをじっくり描く。妻の死後、男手ひとつで旭(男の子が生まれたら『旭』。女の子なら「小百合」と決めていた!)を育てる。周囲の人たちの善意に支えられて。とんびが鷹を産んだと周囲から言われたい、と思う。彼にとって旭は自慢のひとり息子だ。この子のためだけに生きている。
昔の男にはこんな人もいた。今はきっといない。時代が変わっただなんて一言で済ましたくはない。今ならこんな子供べったりの父親なんて嫌われる。別に甘やかしているのではない。親だから、彼が大切なのだ。この子のためなら命を投げ出しても悔いはない。いつの時代でも親子は同じだ。ただ、今ではここまでストレートにはいかない。
重松清はそんな昔かたぎの父親を懐かしがっているのではない。彼はこの小説で信念のもと生きる昭和のオヤジを大切に描いた。これは自分の父親世代へのオマージュである。失われつつあるかっての時代に生きた父親をもう一度描くことを通して、本当に大事なものを再検証する。浪花節なんて古いと思うだろうが、忘れてはならないものがここにはある。
父と子がこういうふうに向き合い生きる。時代がどんなに変わろうとも変わるはずのないものを描くという重松清の信念がこのアナクロ小説には満ち溢れている。文句がある奴はかかってこい、と彼は言う。(まぁ、直接はそんなこと言わないが)
今回は父と息子の成長の物語だ。昭和30年代の終わりから平成までを背景に子供の誕生から、彼が妻子を作り独立していくまでをじっくり描く。妻の死後、男手ひとつで旭(男の子が生まれたら『旭』。女の子なら「小百合」と決めていた!)を育てる。周囲の人たちの善意に支えられて。とんびが鷹を産んだと周囲から言われたい、と思う。彼にとって旭は自慢のひとり息子だ。この子のためだけに生きている。
昔の男にはこんな人もいた。今はきっといない。時代が変わっただなんて一言で済ましたくはない。今ならこんな子供べったりの父親なんて嫌われる。別に甘やかしているのではない。親だから、彼が大切なのだ。この子のためなら命を投げ出しても悔いはない。いつの時代でも親子は同じだ。ただ、今ではここまでストレートにはいかない。
重松清はそんな昔かたぎの父親を懐かしがっているのではない。彼はこの小説で信念のもと生きる昭和のオヤジを大切に描いた。これは自分の父親世代へのオマージュである。失われつつあるかっての時代に生きた父親をもう一度描くことを通して、本当に大事なものを再検証する。浪花節なんて古いと思うだろうが、忘れてはならないものがここにはある。
父と子がこういうふうに向き合い生きる。時代がどんなに変わろうとも変わるはずのないものを描くという重松清の信念がこのアナクロ小説には満ち溢れている。文句がある奴はかかってこい、と彼は言う。(まぁ、直接はそんなこと言わないが)