ここに収録された短編小説はひとつひとつ完全に独立したものだ。しかし、その底に流れる寂しさは共通している。寡黙な文体は時には必要なことすら隠すようで読み終えたときには描かれた世界のありさまが明確な輪郭すら残さないときもある。
母と息子の2人きりの時間を描く『滑走路』から始まり息子がおじさんと2人で山に行く話まで(『おじさんのトンネル』)まで、ここに収録された短編7編はいずれも登場人物が2,3人に限定される。しかもそのなかで彼ら2,3人の関係さえ描かれるわけではない。その時の心の揺れがほとんど振幅もない静けさの中で描かれるばかりだ。当然のようにストーリーなんてほとんどない。
7つの短編は緩やかな連作の雰囲気を残していく。明らかにこれは短編連作で舞台や登場人物も一部は共通しているにも関わらず、その緩さとそっけなさゆえにトータルなイメージを読み手に残さない。堀江敏幸のこのタッチは『河岸忘日抄』のような長編よりもこの作品や『雪沼とその周辺』のような短編連作において力を発揮する。
子供がこんなにも大人のような諦念を抱いて密やかに生きているだなんて不思議な気分だ。でも堀江さんはそんな子供を主人公にして、この短編連作を束ねてしまう。その子はこましゃくれて子供らしさのない大人子供というのではもちろんない。自分の人生を、静かに受け入れて生きる老人のような子供が描かれていく。それは彼だけではなくこの短編連作の中に出てくる大人たちも含めて、みんながそういうスタンスを保ち続けている。静かに受け入れて生きるというには諦めではない。強く生きていこうとする意志だ。この作品に貫かれたその力強さに心が震える。
遠足、母と2人の暮らし。ステンレスの水筒。酔うとなんでも家にあるものを人にあげてしまう専務。祖母の家のなつめ球。床屋での会話。父との動物園の思い出。おじさんたち夫婦の噂。祖母と救急車に乗ったこと。出戻りの姉と彼女を雇う友だちの父である酒屋の主人。未見坂のバス停のこと。おじさんの家に預けられること。トンネルのむこうに根っこを取りに行く。点描のように綴られていくそれらのエピソードのひとつひとつが胸の奥深くに響く。これは傑作である。
母と息子の2人きりの時間を描く『滑走路』から始まり息子がおじさんと2人で山に行く話まで(『おじさんのトンネル』)まで、ここに収録された短編7編はいずれも登場人物が2,3人に限定される。しかもそのなかで彼ら2,3人の関係さえ描かれるわけではない。その時の心の揺れがほとんど振幅もない静けさの中で描かれるばかりだ。当然のようにストーリーなんてほとんどない。
7つの短編は緩やかな連作の雰囲気を残していく。明らかにこれは短編連作で舞台や登場人物も一部は共通しているにも関わらず、その緩さとそっけなさゆえにトータルなイメージを読み手に残さない。堀江敏幸のこのタッチは『河岸忘日抄』のような長編よりもこの作品や『雪沼とその周辺』のような短編連作において力を発揮する。
子供がこんなにも大人のような諦念を抱いて密やかに生きているだなんて不思議な気分だ。でも堀江さんはそんな子供を主人公にして、この短編連作を束ねてしまう。その子はこましゃくれて子供らしさのない大人子供というのではもちろんない。自分の人生を、静かに受け入れて生きる老人のような子供が描かれていく。それは彼だけではなくこの短編連作の中に出てくる大人たちも含めて、みんながそういうスタンスを保ち続けている。静かに受け入れて生きるというには諦めではない。強く生きていこうとする意志だ。この作品に貫かれたその力強さに心が震える。
遠足、母と2人の暮らし。ステンレスの水筒。酔うとなんでも家にあるものを人にあげてしまう専務。祖母の家のなつめ球。床屋での会話。父との動物園の思い出。おじさんたち夫婦の噂。祖母と救急車に乗ったこと。出戻りの姉と彼女を雇う友だちの父である酒屋の主人。未見坂のバス停のこと。おじさんの家に預けられること。トンネルのむこうに根っこを取りに行く。点描のように綴られていくそれらのエピソードのひとつひとつが胸の奥深くに響く。これは傑作である。