習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ビザンチウム』

2013-09-26 21:08:59 | 映画
 同じ週末に公開の映画で先日見た『エリジウム』とこの映画。あまりにタイトルが似通い過ぎないか。間違って見に行ってしまい、こんなはずじゃなかったぁ、と思う人が全国に100人くらいいるのではないか、と心配になる。(というか、そんなバカな客は僕だけかぁ。というか、別に間違って見たわけではないけど)

 ということで、今日は『ビザンチウム』を見てきた。ニール・ジョーダン監督の久々の新作である。(先日DVDで『オンディーヌ 海辺の恋人』を見たけど、あれは劇場公開されずにいきなりDVDリリースされたから、劇場公開では本当に久しぶりになる)しかも、彼の得意技であるバンパイアものだ。『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』以来か? 『狼の血族』は含んでいいのでしょうか。まぁ、どうでもいいけど。

 孤独な少女の初恋物語。お話自身は『ぼくのエリ 200歳の少女』とまるで同じパターンだが、あれはもう少し年齢が低い(12歳)。だから、これはあれのティーン版。でも、それなら、大河ドラマになった『トワイライト』シリーズの亜流か、と言われそうだが、そんなわけではない。痩せても枯れても(というか、痩せも枯れもしないけど)天下のニール・ジョーダンなのだ。彼が物まねなんかしない。大体この手の映画は山盛りあるから。

 似ているというのなら、彼自身の前作『オンディーヌ 海辺の恋人』に似ている。どちらも、自分の世界に籠った男女がおずおずと歩み寄る話だ。しかもふたりの想いは堅い。寂れた海辺の小さな町を舞台にして、偶然そこにやってきた女が、そこで暮らす男と出逢い、恋に落ちる。女には誰にも言えない事情がある。だが、男はそれを躊躇することなく、そのまま受け止める。前作は人魚(ではないけど)、本作は吸血鬼。神話の中の出来事が、まるで当たり前のように現実の世界で起きる。それを普通に受け止める。

 そんな夢の中の出来事のような映画なのだ。これがニール・ジョーダンの世界の魅力なのである。代表作『クライングゲーム』も『モナリザ』もそうだった。犯罪や恋愛という背景を用意して、その中で、男と女(というか、人と人)の魂の交流が描かれる。今回の永遠の命を得て、二人きりで孤独の中、生きるという選択は究極のラブストーリーのように見えて、ハッピーエンドではない。永遠の愛がどうして、こんなに淋しいのか。それは愛には限りがあるから、美しいのに、彼らにはもう先が見えているからだ。もちろん、彼らがこの先別れていくわけではない。反対に彼らはきっと永遠に一緒だ。だからこそ、哀しい。

 不思議ではない。永遠というのは、そういうものだ。辻仁成の小説『永遠者』も同じ題材で同じテーマだった。あれもせつないドラマだ。辻仁成はパリから大阪、東京とどんどん舞台を変えて長い歳月を描いたが、本作はもちろん一瞬の出来事だ。一瞬が永遠になる、とか書いたら実に臭くなるけど、そんな感じ。

 でも、この映画は甘いラブストーリーではない。2時間、ひたすら孤独で、200年も16歳として生きてきた少女の閉ざされた心を凝視するためだけのドラマなのだ。この町の風景がまるで彼女の心自身のように胸に沁みてくる。老人ばかりが集う夜のカフェで、いきなりピアノを弾くシーン。誰にも気にも止められず、(もちろん、そんなこと気も止めず)黙々とひとりで弾く。だが、そんな彼女にその店でアルバイトしている青年が、声をかける。ふたりの出逢いのシーンだ。その後、海のほとりのトンネル状になった遊歩道で、再び逢う。白血病で半年の命だと宣言された青年と、永遠の命を生きるしかない少女。心象風景を見ているような映画だ。ストーリーなんかこの際どうでもいい。ただ、この風景に心を寄り添わせる。それだけでいい。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『真珠の耳飾りの少女』 | トップ | 『そして父になる』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。