阪本順治監督の傑作映画ではない。僕はよくは知らないのだが、これは人気ゲームらしい。世界中で大ヒットしたゲームソフトの実写映画化がこれらしい。ゲームマニアなら誰でもよく知ってるものらしい。
こういうゲームの映画化はほんとに多い。需要と供給の関係から製作されるのだろうが、いつもつまらない。今回も試写会に誘われたから、ついつい見てしまったが、僕には何の意味も持たない映画だった。格闘シーンがだらだら続くばかりでまるで何の話もない。世界最強を決める闘いなんかには興味はない。
だいたいこの手の映画はどうしてこういつもいつも同じパターンから出ないのだろうか。もう少し脚本でも練ればいいのにと思う。本当に芸がない。バカの一つ覚えのような単純さだ。昔あった『ストリートファイター』と区別がつかないし。
それに、去年の『ドラゴンボール』もこんな感じだった。あんなに期待させといてあんなものを提供するなんて詐欺だ、と誰もが思った、はずだ。まぁ、だれもあの映画は身にも行かなかったが。実写版『北斗の拳』もそう。ただただ戦うばかりで何のお話もない。
但し、この2本のアメリカ映画の原作マンガはとても面白い。(まぁ、そんなこと、普段はマンガを読まない僕が言うまでもないことだが)なのに映画化されたらなんともふがいない作品にしかならないのはなぜか。理由は単純だ。それは原作のディテールが1時間半ほどの映画では表現できないからである。
要するにこれは描き方の問題だな、と思う。この映画だってもう少し工夫したならおもしろい映画に出来ないこともない。ブルース・リーの『燃えよドラゴン』だってお話のレベルはこの映画と変わらない。(だが、今はあの方向ではもう映画は作れない。生身の肉体によるアクションが感動を呼ぶ、というような時代ではないからだ)
今この手の安直な映画が生き残るために必要なことは、確固とした世界観ではないか。世界戦争が起きて、国は滅びて世界は8つの巨大企業が牛耳ることとなった。そのひとつがアメリカを支配するテッケン財閥で、その総帥が三島平八という日本人らしい。アメリカを日本人が支配するなんていうなんだかアメリカ人にとっては国辱的な図式を持つこの映画が、単純アクションではなく、ちゃんとしたSFとして起動したなら、かなり面白いのではないか、と映画を見ながら一瞬、夢想した。
こういうゲームの映画化はほんとに多い。需要と供給の関係から製作されるのだろうが、いつもつまらない。今回も試写会に誘われたから、ついつい見てしまったが、僕には何の意味も持たない映画だった。格闘シーンがだらだら続くばかりでまるで何の話もない。世界最強を決める闘いなんかには興味はない。
だいたいこの手の映画はどうしてこういつもいつも同じパターンから出ないのだろうか。もう少し脚本でも練ればいいのにと思う。本当に芸がない。バカの一つ覚えのような単純さだ。昔あった『ストリートファイター』と区別がつかないし。
それに、去年の『ドラゴンボール』もこんな感じだった。あんなに期待させといてあんなものを提供するなんて詐欺だ、と誰もが思った、はずだ。まぁ、だれもあの映画は身にも行かなかったが。実写版『北斗の拳』もそう。ただただ戦うばかりで何のお話もない。
但し、この2本のアメリカ映画の原作マンガはとても面白い。(まぁ、そんなこと、普段はマンガを読まない僕が言うまでもないことだが)なのに映画化されたらなんともふがいない作品にしかならないのはなぜか。理由は単純だ。それは原作のディテールが1時間半ほどの映画では表現できないからである。
要するにこれは描き方の問題だな、と思う。この映画だってもう少し工夫したならおもしろい映画に出来ないこともない。ブルース・リーの『燃えよドラゴン』だってお話のレベルはこの映画と変わらない。(だが、今はあの方向ではもう映画は作れない。生身の肉体によるアクションが感動を呼ぶ、というような時代ではないからだ)
今この手の安直な映画が生き残るために必要なことは、確固とした世界観ではないか。世界戦争が起きて、国は滅びて世界は8つの巨大企業が牛耳ることとなった。そのひとつがアメリカを支配するテッケン財閥で、その総帥が三島平八という日本人らしい。アメリカを日本人が支配するなんていうなんだかアメリカ人にとっては国辱的な図式を持つこの映画が、単純アクションではなく、ちゃんとしたSFとして起動したなら、かなり面白いのではないか、と映画を見ながら一瞬、夢想した。