久々に藤原新也を読む。しかも小説だ。今は新刊しか読まない日々が続いているけど、これは2017年の出版。手にとったのはいつものようにたまたまだ。図書館でたまたまこの本を見かけて、「最近藤原新也を読んでないけど、」と思い、「じゃぁ、」と借りてきた。
藤原新也が好きだった。最初に読んだのは『全東洋街道』だ。そして、続いて当時出版されたばかりの『東京漂流』。この2冊の衝撃はまだ20歳だった僕には強烈だった。それからずっと彼の新刊は購入していた。沢木耕太郎と川本三郎と藤原新也は20代の僕にとってはバイブルだった。もちろん今でも大好きだけど、さすがにあの頃のような熱狂はない。だから、たまたまなのだ。
だけど、今これを手にしてよかった。20代の頃のあの興奮がよみがえってきた。ひとりの青年が6歳の頃に亡くした父親の生まれ故郷であるスコットランドの最北、オークニー諸島を旅する10日間が描かれる。ゲーム依存症で精神科医の診断を受けた彼は医者から仮想空間ではなくリアルな旅を勧められる。お話は医者との面談から始まる。自分の弱さと向き合う。そして旅に出る。
まるで彼に寄り添うように、彼と共に僕もまた旅に出る。この旅で何に出合えるか出会えないか、それすらわからない。これは今までたくさん読んできた藤原新也の旅の記録と同じだ。だが、これは20代の若者の視点から書かれた小説である。小説が目指すゴールはノンフィクションとは違うだろう。
前半旅の3日間を描く部分がすばらしかった。マークと過ごすなんでもない旅。この老人ガイドは大丈夫なのかと心配しながら、彼と行動を共にする。それはただの観光旅行だ。だが、お話は中盤になり一転する。嵐の1日。そこで信じられない体験をする。全体の半分ほどのところ、ここまでが凄かった。
この後、老人の告白が始まるのだが、小説としては後半のそこからが本題なのだろうけど、ここからあからさまにただの小説になってしまい、少しつまらなくなった。『老人と海』を読んでる気にさせられる。そんなのを読みたかったわけではないのだけど。大鮃との対決とか、ドラマチックな展開になるとどんどん僕のテンションは下がる。