5月の配信による公演(大竹野正典・作『ブカブカジョーシブカジョーシ』)からまだ2か月も経たないというのに、もう新作を発表するエイチエムピー・シアターカンパニーである。しかも今回はリモートと劇場のコラボによる公演に挑戦するのだ。笠井さんたちは常に新しい表現に果敢に取り組む。
さて、今回は折口信夫の『死者ノ書』である。こんな題材を取り上げるというだけでも十分刺激的なのに、それを前作に引き続き、今回もオンラインでの可能性を追求するスタイルで挑む。劇場にいる「リアル」な俳優と「オンライン」で演技する俳優が共演し、また観客も、「リアル」な劇場(表現者工房)で見る人と、「オンライン」のモニター(仮想劇場ウイングフィールド)で見る人とにわかれる。どちらを選択するかで別々の体験ができるという段取りだ。
大津皇子と郎女の物語を見せるはずなのだが、ふたりは別々の空間(劇場とたぶん自宅?)に配置し、交わらない。それどころかお話は語り部のナレーションで進行し、通常のお芝居という体裁は取らない。語り部と郎女による物語は確かにあるのだが、それはわかりやすい劇としてのドラマを綴らない。感情移入は拒絶する。しかも配信での上演は、映像は、ほぼモノクロームで、身体性を排した象徴的な空間を造形し、作品自体の抽象的な展開をさらにエスカレートさせるから、僕にはもう何が何だかよくわからない。
65分間、その美しい空間を眺めるだけで、よくわからないうちに終わってしまった。郎女の気持ちが言葉として綴られたのなら、まだわかりやすかったのだろうが、それはない。彼女の旅が描かれるのなら、わかりやすいのだろうが、それもない。死者との交わりも、そこに物語としての体を持たないから、これではわかり辛い。きっと原作小説がそうなのだろが、それを難解なまま芝居にしたので、こんなことになったのだろう。劇場で見たなら、まるで別の印象を受けたかもしれない。パソコンのモニターで見る芝居は僕には無理だった。残念だけど、集中できない。恥ずかしい話だけど、今回はお手上げだった。