4月公開予定だったこの作品がようやく劇場公開された。松竹系で全国200あまりの劇場での拡大公開だったはずなのに、配給は吉本興業に移り、20館のミニシアターでひっそりと公開される。大阪はシネ・ヌーヴォーで17日から2週間、1日2回上映だ。客席80ほどの劇場なので、今は定員は40ほどか。満席になっても、とてもじゃないけど、ヒットとは言えない。それでも、ネット配信だけではなく、ちゃんと劇場公開されたことを喜びたい。しかも、この映画の内容と、この小さな劇場とがとてもマッチしていて、この侘しくて寂しい作品とぴったりだった。これを当初の公開予定だった梅田ブルク7や、大阪ステーションシティシネマで見ていたら、また、違った印象を受けたかもしれない。映画自体の評価とはまるで別次元の話だけど、そんなことを思う。
小劇場演劇の世界を舞台にした映画だ。売れない劇団主宰と、彼を支える恋人との恋愛映画なのだけど、通常の恋愛映画のような甘さは一切ない。山﨑賢人、松岡茉優主演の映画だから、と、キラキラした青春映画を期待したら痛い目に遭う。2時間16分という上映時間も、この手の作品としては異常だろう。長すぎる。それは心地よい時間ではない。内容もそれに準じる。心地よくはない。だけど、このどうしようもないダメ男と天使のような女のドラマは、今まで見たことのないような輝きを放つ。
最低の男なのに、彼を信じて、彼を大切に想い、彼と同じ時間をともに過ごす。そんな7年間に及ぶ日々が綴られていく。彼女にとっての20歳から27歳の時間は、彼女の人生にとってかけがえのない時間だったはずだ。それを彼との時間に捧げた。悔いはない、とは言わない。彼は彼女に甘えて、ヒモのような暮らしを続けながら、わずかばかりの自分の才能にすがりつき、なんとかなるのではないかと、甘い夢を見る。やがて、彼女が壊れていく。
見ていてつらくなるばかりの映画だ。なのに、スクリーンからは目が離せない。それは、ここに描かれていることが、誰の中でもきっと心当たりのあることだからではないか。自分の夢を追いかけて生きる。いつか劇作家として演出家として認められて成功する。そう信じたい。でも、生活がのしかかってくる。劇団は解散する。満足のいく台本が書けない。自分を信じていたはずなのに、信じられなくなる。自信がなくなる。でも、虚勢を張る。自分がこのまま終わるはずはないと信じたい。でも、以前はあんなにも自信満々だったのに、気づくと心が弱くなっている。でも、ここで折れてはならない。なんとかしなくては、今までのすべてが無意味になってしまう。
ただ、幸せになりたかっただけ。でも、その幸せは彼女とふたりでいることではない。では、芝居か? 彼は、芝居を通して何を成し遂げたかったのか。たぶん、自分自身でもよくわからないのだろう。
ラストで、突然、ふたりの日々を描く自伝的作品を上演するシーンが描かれ、(寺山修司監督の傑作『田園に死す』のラストシーンを想起させる!)その芝居を見て涙を流す彼女。あのラストシーンはただの幻でしかないのかもしれない。でも、この2時間16分の映画の幕切れとして見事だった。これは行定勲監督の最高傑作だ。