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映画・演劇のレビュー

Fling Fish Sausage Club『夏の皮膚』

2009-09-09 20:56:12 | 演劇
 和歌山カレー殺人事件を題材にした作品。和歌山の小劇場劇団による大阪での公演となる。まぁ、和歌山在住とはいえヨヴメガネとして活躍してきた松永恭昭さんの作、演出なので初めての集団の作品に接するという感じではない。

 事件から10年後、夏祭りを再びここで復活させようとする町内会長、この町に帰ってきた犯人である主婦の娘。この町の施設で今も暮らす彼女の弟、彼の世話をする施設の職員の女性、事件の被害者の親子。この6人が登場人物のすべてだ。彼らが織りなすドラマは幾分観念的で自閉的な印象を残すのもいつもの松永さんのタッチだ。

 祭りは、かって犯人である女が住んでいた家の跡地で行うらしい。そこは今では公園になっている。フィクションとして再構成された話はどこまでが事実を下敷きにしているのかは定かではない。犯人である女の死刑が確定したことが少年に告げられる。彼は、事件の時、毒入りカレーを食べてその副作用から髪の毛が真っ白になってしまった向いの家の少女と付き合っている。当然彼女の母親は少年を嫌悪している。

 小さなコミュニティーで起こった殺人事件。誰がカレーに毒を入れたのかは定かではない。たとえ犯人に死刑が求刑されたとしても彼女が犯人であるという決め手はない。状況証拠しかない。当時ここで暮らしていた住民たちはみんなが被疑者と目されて、警察から写真まで撮られたらしい。

 あの日、一体何があったのか。犯人は本当に2人の姉弟の母親なのか。なぜ彼女はこんな事件を引き起こすに至ったのか。この芝居は事件自身には何も触れない。だから芝居は事件の核心に迫るのではない。10年後の姉と弟の再会に焦点を絞り込む。しかし、それすらも、あやうい。そこにドラマらしいドラマを設定しようとしないからだ。少年はタイムマシンに乗ってあの日をもう一度やり直したいと言う。だが、幼かった彼に何が出来よう、と思う。

 不在の母親からの手紙。その手紙が滞る。死刑の判決が下されたを知らなかった少年。彼はここで何を見たのか。だいたい彼を弄ぶ施設の職員の女の話もよくわからないままだ。彼女に被せられた大仏のマスクが後半の重要なイメージとして描かれるにもかかわらずそこに何を見せたかったかも、不明。これは、この日の公園で、見た幻でしかないのか?芝居自身が提示しようとするものが明確にはならないのがもどかしい。少女が公園に埋めたものは何だったのか。それも定かではない。曖昧なまま芝居は始まり、終わる。いろんな謎が消化不良のままにされる。だが、それさえ作者の意図なのかもしれない。だが、それってなんだかなぁ、と思う。これではこれ見よがしでしかない。提示するさまざまなイメージは刺激的なのだが残念ながらそこまでだ。

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