ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1969/3/26live
シルヴェストリの代役だったそうだが急に決まったのにこの完成度は凄い。ロザンタールは大曲向きの指揮者であることを改めて思い知らされた(パラードなど振ってる場合ではない…)。トゥーランガリラ交響曲の名演を彷彿とさせるもので、しかしあくまで前時代のセオリーを総括し、極めて理知的に構築したこの曲はメシアンのような「前衛」よりロザンタールにはやりやすかったはずで、多少勘違い感を覚えた向きもこれなら文句は言うまい。ロザンタールの特徴である全体的に派手で壮大で色彩的なところも良いが、「ウィーン臭のしない」純音楽的で灰汁の抜けた音は主題を高潔に保ち、情緒的でないぶん驚異的な和声や構造がはっきり浮き彫りにされており、リヒャルト・シュトラウスのワルツに入るといきなり世俗的になる感じが全くないので聴きやすい。冒頭の有名な日の出とその後の断片的な楽章の、あまりにも対照的な継ぎ目のちぐはぐも(後半思いっきりワルツが全面に立つまでは)感じない。オケ、リヒャルト・シュトラウス特有の管楽器もさることながら弦楽器の「どうしちゃったのフランス国立」という素晴らしいギッチリしたアンサンブル、威勢のいい演奏ぶり、ライヴなりではあるが精度の高さに驚かされる。この曲の聞き所は冒頭だけ、なんてことを言わせないのだ。言わせないのだが、ただ激烈なフーガで音飛びして一旦戻り仕切り治すのは元の録音のバグだろうが「いちばんいいとこなのに!」と思った。もっとも、19'59_21'14をカットして、21'17から繋げば全く問題ないので気になる向きは編集を(ダウンロード方式だとmp3になるため音質面で残念なところがあることも付け加えておく、逆にそこを気にするほど良いステレオ録音、しかもオーディエンス録音でもエアチェックでもない局原盤起こしだと思われる)。結果40分を超えるのだが、これはそのバグだけではなくもともとロザンタールが遅めのテンポをとりきっちりやる人なので、もともとだ。長いワルツも含めるとさすがに飽きてきて平板な印象も与えるかもしれないが(ロザンタールはドイツ的なダイナミックな操作はしないので音量変化等は少なく感じられる)、ラストのギリギリの弱音表現から拍手は盛大に与えられるところを聴くと、代演は成功だったのだろう。同じことを書いてしまうが当時として実験的に組み込まれた技法の数々、分厚くも鮮烈な和声が臭気をまとわず明るみに出されているので、純音楽として楽しむのには良い。加えてハデハデでもあるのだ。
シルヴェストリの代役だったそうだが急に決まったのにこの完成度は凄い。ロザンタールは大曲向きの指揮者であることを改めて思い知らされた(パラードなど振ってる場合ではない…)。トゥーランガリラ交響曲の名演を彷彿とさせるもので、しかしあくまで前時代のセオリーを総括し、極めて理知的に構築したこの曲はメシアンのような「前衛」よりロザンタールにはやりやすかったはずで、多少勘違い感を覚えた向きもこれなら文句は言うまい。ロザンタールの特徴である全体的に派手で壮大で色彩的なところも良いが、「ウィーン臭のしない」純音楽的で灰汁の抜けた音は主題を高潔に保ち、情緒的でないぶん驚異的な和声や構造がはっきり浮き彫りにされており、リヒャルト・シュトラウスのワルツに入るといきなり世俗的になる感じが全くないので聴きやすい。冒頭の有名な日の出とその後の断片的な楽章の、あまりにも対照的な継ぎ目のちぐはぐも(後半思いっきりワルツが全面に立つまでは)感じない。オケ、リヒャルト・シュトラウス特有の管楽器もさることながら弦楽器の「どうしちゃったのフランス国立」という素晴らしいギッチリしたアンサンブル、威勢のいい演奏ぶり、ライヴなりではあるが精度の高さに驚かされる。この曲の聞き所は冒頭だけ、なんてことを言わせないのだ。言わせないのだが、ただ激烈なフーガで音飛びして一旦戻り仕切り治すのは元の録音のバグだろうが「いちばんいいとこなのに!」と思った。もっとも、19'59_21'14をカットして、21'17から繋げば全く問題ないので気になる向きは編集を(ダウンロード方式だとmp3になるため音質面で残念なところがあることも付け加えておく、逆にそこを気にするほど良いステレオ録音、しかもオーディエンス録音でもエアチェックでもない局原盤起こしだと思われる)。結果40分を超えるのだが、これはそのバグだけではなくもともとロザンタールが遅めのテンポをとりきっちりやる人なので、もともとだ。長いワルツも含めるとさすがに飽きてきて平板な印象も与えるかもしれないが(ロザンタールはドイツ的なダイナミックな操作はしないので音量変化等は少なく感じられる)、ラストのギリギリの弱音表現から拍手は盛大に与えられるところを聴くと、代演は成功だったのだろう。同じことを書いてしまうが当時として実験的に組み込まれた技法の数々、分厚くも鮮烈な和声が臭気をまとわず明るみに出されているので、純音楽として楽しむのには良い。加えてハデハデでもあるのだ。