湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆フレンニコフ:交響曲第2番

2016年08月31日 | ロシア・ソヴィエト
◎コンヴィチュニー指揮ベルリン放送交響楽団(MEMORIES)1955/4/21スタジオ・CD

音質きわめて良好なモノラル。けっして巧いオケではないし解釈自体は四角四面のコンヴィチュニー、彼なりの即物主義というか唯物的客観性が発揮されイマジネイティブでは全くなく実にリアルな音の交歓で、純粋に音を表現しているだけで、そこに情緒が醸されるのはやっと緩徐部に入ってからである。3楽章以降の凄絶なアンサンブルの力強さはとにかく聞き物だが、表現の振幅という部分では実直の一言だ。ベルリンのオケにしかできえない部分もあり、重心が低く縦に重く苛烈な発音でこのソヴィエトソヴィエトした曲をドイツのやり方で整え異常な緊張感をもって表現している。ちょっと独特の魅力がある演奏で、スヴェトラとかとは対極にあるようでいて、地力の強い演奏振りには共通する部分もある。力感が録音リマスタリングで増強され聞きやすい。透明で機械のような演奏、という近現代東側指揮者の一種「現代音楽指揮者的なイメージ」とは離れており、そこが魅力でもあろう。ロシア情緒はほとんどない、ドイツだ。この曲の演奏をまじめに聞こうと思ったらひょっとしたら第一にきくべきものかもしれない、変なフィルターがかかってないから。
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ブロッホ:イスラエル交響曲(末尾欠落)

2016年08月31日 | Weblog
ロジンスキ指揮NYP、ステヴェンソン(SP)他(SLS)1944/12/31カーネギーホールlive

びっくりの音源の登場。リッチャウア盤(前記、pristineが復刻済)に同曲に対する賛辞を寄せていたロジンスキ「自身」が指揮した記録である。残念なのは3楽章が歌唱終了時点で尻切れトンボで終わってしまうところだが(当然拍手も入らない)その後はオケが静かに終了を告げるだけなので主要部分はほぼ聴ける。演奏は非常に速く、力感と起伏に富んだロジンスキのスタイルで、NYPは一糸乱れず筋肉質の表現をなしている。同時代に流行ったトスカニーニスタイル、即物主義的表現であることが、同曲の余計な部分、感情的に弛緩する部分を取り去り、もっとも後半楽章はもともと楽曲的に静まっていくのでそれに沿ってはいるものの、極力ドラマティックにぐいぐいと引っ張っていくさまに目を見開かれる。確かにマーラーなどの前時代ロマン交響曲のにおいを受け継ぎ、中欧的安定感をもとに前進的な語法を織り込んでいくブロッホ前期の大作であり、そういうわかりやすい曲を好む人には向く。歌唱は特徴的なものはなかった。これは戦時中に放送された音源で兵士へのロジンスキのスピーチが短く収録されている。SLS復刻独特の針音は気になるが、戦時中録音としては破格に良好な状態である。ほぼクリアに内声まで聴くことが出来る。同コンサートのプログラムはブルッフの協奏曲(別記)、同曲、ダフニス(残っていないか)という順番だった。
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ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2016年08月31日 | Weblog
ミルシテイン(Vn)ロジンスキ指揮NYP(SLS)1944/12/31live

野太い音、完璧な技巧、即物主義スタイルで突き進む音楽には爽快感というか、ズシンとくるところもあり圧倒されるものがある。オケとのアンサンブルも完璧。テンポは突き進むのみで細かいニュアンスは無いが、箇所により奏法を変えて音楽の単調さを避ける3楽章など、聴きどころはある。録音は戦時中なりのもの。しかしSLSにしては良い。
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☆キャプレ:幻想曲「赤死病の仮面」

2016年08月31日 | フランス
◎ラスキーヌ(HRP)ヴィア・ノヴァ弦楽四重奏団(ERATO)CD

アカデミックでロマンティックな場所からドビュッシーの薫陶をへて、更にルーセルにも似た神秘主義的作風にいたった頃の名作である。生徒でも友人でもあった評論家カルヴォコレシがその化け具合、ドビュッシイズムからも離れた孤高の境地に強く惹かれた、一連のハープと弦楽器のための作品群の頂点ともいえる。ドビュッシーとメシアンのミッシングリンクというライナーのくだりは日本盤CDで訳されているだろうか。指揮者としても国内外で評価を勝ち得ていたキャプレは、シェーンベルクの管弦楽のための五つの小品をフランス初演したことからも伺えるように(フランスは早くからシェーンベルク受容の進んだ国であったが)常に前衛的な新しい音に興味をいだいていたことは間違いない。ドビュッシーの影響は残るが、活動的には早いうちに離れたことからも、先進的なキャプレの移り身の速さ目先の鋭さを伺うことができる。最終仕上げを手伝った聖セバスティアンにも神秘の要素はあるが、シェーンベルクからの影響を受け更に「月に憑かれたピエロ」に先んじた技法に至る(別項の七重奏はドビュッシーの無歌詞歌唱の器楽的用法からシェーンベルクの確立した朗誦法までの間に生まれた作品として注目される。キャプレが長生きしていたら室内作品でも大成したことだろう、その手法は一見単純素朴だがそのじつ精緻で無駄のないかつ個性的なものだ)、当時としての極北を進もうとしたこの作曲家が、志半ばで頓死したことは返す返すも残念である。

これはポオの本にもとづく。亜麻色の髪に蒼い顔のキャプレらしい不健康さがある(指揮をよくしたことからも人間的には快活だったようだが)。ゴシック・ホラーな場面から始まり(独特、だが美しさの範疇からは決して出ない)、カルヴォの言葉を借りればまさに「きびきびしなやかに」自然な場面転換から、非常にドビュッシー的なハープのリリシズムに、生来のロマンティックな弦楽器の音線(旋律の形にはならない)を絡め、時折ゴシックホラーなハーモニーやモダンなパセージが絡まるものの、おおむね精密に選ばれた音の動きや単純なアンサンブルにより、徒に難しくすることなく、バレエ音楽的なイマジネーションを掻き立てる耳馴染みのよい作品になっている。カルヴォはディーアギレフのためにバレエ改作を勧め断られているが成る程バレエになりそうだ、しかもそれまでにない怪奇な。楽器を叩く音や、末尾の神秘も極まるハープの繊細かつ不可思議な動き(ローマ賞で打ち負かしたラヴェルの操る器械的な響きに寧ろ接近している)など、劇伴的ではあるが、この超名盤の取り合わせ、とくにラスキーヌの有無を言わせぬ美質を備えた完璧な表現力をもってすれば他に何もいらないと思えてくる。私はこのLPではじめてヴィア・ノヴァを知ったのだがこれこそ「フランス的」なるものかと膝を打った記憶がある。他にも長いキャリアでいろいろやっていて来日もしているが正直、この盤の印象を凌駕するほどの完成度を感じたことが一度として無い。これはハープがとどのつまり主役なのであり弦楽器は賑やかしなのだ。

何が言いたいかというと、◎以外に思い付かないということである。下手な演奏聞くならこれだけ先に聞いておいたほうがいい。曲のイメージがここまでクリアに描き出された演奏はないから。録音も透明感があって柔らかなステレオで素晴らしい。
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☆プロコフィエフ:交響曲第7番

2016年08月30日 | プロコフィエフ
○テンシュテット指揮バイエルン放送交響楽団(Profil)1977/7/12

地に足のついた演奏で重心の低い響きがドイツっぽい。でもこの曲瑞逸の1楽章第二主題ではその重厚壮大さが存分に発揮され非常にスケール感のある素晴らしい演奏効果をあたえている。これは終楽章で再現されるところでもじつに効果的である。この主題に無闇に重心を置くのは構造的にはおかしいといえなくも無いが、他の部分でも沈潜するような表現と明確な歩みのあいまったテンシュテット的解釈が巧くプロコフィエフの叙情性と相乗効果をあげているといえよう。オケが手だれ揃いのバイエルンということもあり他盤より技術的にも優れてテンシュテットの意図をよく伝えているようだ。終楽章末尾は静かに終わるパターンだが、ロシアの大地を思わせるブラス斉唱が結構大きく鳴り響き、圧倒的なフィナーレを見せ付けるから面白い。独特というか、巧い解釈である。1楽章でちょっと乱れる個所がある。総じて○。
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☆セッドン:16

2016年08月30日 | Weblog
○演奏家不詳(動画配信)

ナイマンで名をあげたピアノサーカスが作曲直後に録音して知られたもので、分野としてはミニマルで、複数のピアノアンサンブルというまとめるのが難しい曲であるからして、そちらはスピードが遅かった。youtubeでは「打ち込み」によるものも配信されているが、スピードは申し分ないものの何かが足りなかった。これはミニマル音楽の持つ「娯楽性」をスピードによって熱気を持ったものに仕上げた佳演。元の音源不明。

https://youtu.be/Ig71fGcYk2Q
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☆アイヴズ:祝日交響曲

2016年08月29日 | アイヴズ
○ドラティ指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1978/11/25放送live

ドラティはこの曲の初演者。恐らくかなり手を入れており余りに聴きやすすぎる。この曲は私はほんとに好きなので、長すぎる、散漫、テンション低い演奏が多いという点で不満があったところを覆してくれた素晴らしく聴きやすい演奏だから、◎にしたいが、主旋律をしっかり作り上げそこを中心軸にしてちゃんと演奏できるように整えてしまったところが「これがアイヴズだ」とは言い難い部分もあるので○にしておく。ドラティは自分的には好きな即物主義タイプにも関わらず余りに耳に残らない演奏が多く、職人的にこなしてしまうドライさというか、「どれでも同じさばき方」をするところが全く引っかかりが無い(凡庸といえば凡庸)ので、勢い任せで乗り切れる程度の長さの曲でないと聴かないのだが、これはその勢いがアイヴズの曲が内面で懇願している「勢い任せでやってください」というお願いとうまく噛み合っているからかもしれない。とくに構造的な手法の鮮やかさと本来の意図である祝祭的な盛り上がりの作りかたに重きを置いたところに成功の秘訣はあると思う。「聴きたいノイズ」がまるきり聞えてこなかったりカオス的音色も払拭されているが、一回こっきりCD化されただけということでもわかるとおりのバンスタの迷演を聴くよりはよほどこちらを聴いたほうがいい。まずトーマス、次ドラティ。演奏も完全に組曲として一楽章(一祝日)ごとに拍手やナレーションが入るが、各楽章本来の「4つの祝日風景を音に落とした」というアメリカ人的愛国心をしっかり描いたものとしては素直だろう。
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☆ヒンデミット:交響曲変ホ長調

2016年08月29日 | ドイツ・オーストリア
○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(GUILD)1943/2/28・CD

ストコフスキは拡散的でばーっとした演奏をするときと音符を切り詰めて強いアクセントをつけ突き進むときがあるが、これは明らかにオケの性向に沿って後者のやり方をとり成功した一例である。ヒンデミットの構造的書法をきびきびした指揮で的確にえぐり、前進的なテンポであおる。平易なものの激しいリズムと移調でデモーニッシュな臭いをぷんぷん撒き散らすヒンデミットの特長を存分にかき出している。冗長な緩徐楽章では特徴的な起伏を付けテヌート気味の力強い音でヒンデミットとしては常套的な表現に変化をもたらし聴く者を飽きさせない。この曲の白眉たるスケルツォ楽章では奇怪な音形をはっきり際立たせ動きの面白さを聴かせる。終楽章の盛り上がりも素晴らしい。録音がよくないゆえ○にとどめておく。凝縮された熱演。
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☆チャイコフスキー:交響曲第6 番「悲愴」

2016年08月29日 | チャイコフスキー
○マルティノン指揮NHK交響楽団(NHK SO,KING)1963/5/3LIVE

言っておくが名演である。一部録音に難があるため○にしたまでだ。とにかくN響に拍手!マルティノンのロシア張りのダイナミックな解釈によくぞここまで合わせてきた。音響のドイツ的重厚さが揺れまくる解釈に安定感を与え非常に聞きやすくなっている。特に1楽章は指揮者とオケが一体となって素晴らしい感情表現を行っており感涙もの。同じく止揚する音楽の憧れに満ちた響きがこのオケとは思えないほど感動的に繰り広げられている4楽章も聞きものだ。速めのテンポで激情の奔流を表現し、しかしそのままあほみたいにいくわけではなくきちんとドラマをつけていく。ブラヴォがないのが不思議。名演。とにかくN響の弦すばらしい。ウィーン・フィルくそくらえ。

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エゴン・ヴェレス:弦楽オーケストラのための音楽op.91

2016年08月28日 | Weblog
アンドレ・ジラール指揮ORTF(ina配信)1971/3/4放送

中欧前衛志向の凡作。重苦しい主題から激しい不協和音を刻む部分を経て終わるさまは、アメリカ保守派の戦後作品と相似形だ。後者のほうが聴きやすい。戦後オーストリアにはもっと素晴らしい「妥協点」を見出した作曲家がいる。演奏は精度が半端な感じもするが仕方ない。
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番

2016年08月28日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(PASC)1958/8/2タングルウッド・バークシャー音楽祭放送live

PRISTINE配信の新発見音源。DA盤とは異なる。本編ステレオで格段に状態はよい(ナレーション、拍手はモノラル)。もちろん録音ヨレがなくはないが時代的に許容すべきだろう。演奏は力感があり雑味が感じられるほどに楽器を鳴らし(とくに高音打楽器だ)色彩感はあるが毒々しいほどで英国的な情趣には欠ける。ただ三楽章は聴かせる。ミュンシュがフランス系指揮者とは思えないほど曲のロマン性を引き出し、現代性は響きにのみ現れているような調子で、RVWの書法の「半端さ」を気づかせてしまうところもある。ぼやかしておけばいいような弦のトレモロを粒立てさせ陳腐さを醸す、といったところである。曲慣れしていないようなミスも多い。重要なブラスのソロが落ちたり遅れたり信じられないところがあり、DAの演奏のほうが出来がよかったんじゃないかというところもある。とまれ、十分鑑賞に足る音質のミュンシュのRVWという点での価値はあり、ミュンシュ好きにはアピールするだろう。英国指揮者・楽団が絡まない演奏という点でも希少だ。
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☆マーラー:交響曲第10番~Ⅰ及び各楽章クック補筆断片・レクチャー

2016年08月28日 | マーラー
○デリック・クック(解説・P)ゴルトシュミット指揮フィルハーモニア管弦楽団(私家盤?/testament)1960/12/19BBC番組・CD

有名な10番補筆に関するレクチャーと試演で、WEB上で音源が出回っているゆえ挙げた。(注:2011年2月testamentより復刻予定)荒削りではあるがこんにち聴けるクック完成版に至る、最初の段階での状況を聴くことができる。最初はクックがピアノを交え解説(一部オーケストラ)、のちゴルトシュミットが黄金期フィルハーモニア管を振って全楽章の主要部分を聴かせている(1、終楽章はほぼ全部)。断片しかない楽章について、付け加えるハーモニーをどうするかを主軸に、オーケストレーションをどう展開させていったかがわかる、かなり無理のある部分が今はいくぶん丸められているのだなと思わせるところが多々あり、正直聴きづらいほど生硬なところもある。ゴルトシュミットはオーケストラをきわめて分析的に繰る人で(ここでは特に意識しているとも思われる)遅めのインテンポでリズムをひたすら単調に整え、「響き」を前面に押し出すやり方をしている。そのため和音の一つ一つが重過ぎて胃がもたれてくるが、これはウィン・モリスの有名な録音にも共通するところがあり、クック完成版が「やりにくい曲」だったことを伺わせるものでもある。しかしそういう棒に対しダレも飽きもせず緊張感と技術の精度を保っているフィルハーモニア管がほんとうに素晴らしい。モノラル録音なのが惜しい、クレンペラー組の音である(同様に音色の魅力という部分ではイマイチ)。ごく一部ソロミスのような音があったようなかんじもするがひょっとするとスコアがそうなっているのか。特徴的なのは3楽章プルガトリオの異様なテンポ設定。クック初期版の指示がそうなっているのか異常な高速、中間部での異様な遅速、ここではオケに軋みが生じている。非常に参考にはなる。○。
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☆ミヨー:プロテー組曲

2016年08月27日 | フランス
○フルニエ指揮ヴェルサイユ管弦楽団(ARIES)LP

エキゾチックでもかっこいい出だしから、平易という意味ではなく、大人が非常に聴きやすい娯楽的なミヨー節が展開。ルーセルのように力強いリズム表現にメカニカルな構造のかっこよさはミヨーの南米ふう作品の中でも極めてよく作られており魅力的なものだ。力溢れる演奏ぶりは楽しむのに十二分なもので古いものとしては音響的にも不足はない。ステレオ的な音場の広がりもいい。古い録音がメリットになるのは難しいフレーズや調性が崩れる細部がほどよく「ぼやかされて」聞こえ、耳易いところだけに集中できるところだが、演奏自体もミュンシュ的にわかりやすい音を選んで強調しているようにも感じた。イキのいい楽しい曲に演奏であるから楽しみましょう。録音マイナスで○。

※怪しげなオケ名からも偽演の可能性は高いが、チェリストのフルニエと同姓同名で70年代に刷られた盤。ノートに指揮者に関する記述は無い。フルニエという苗字の指揮者はいるので、誤記の可能性もある。
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番

2016年08月27日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ボールト指揮LPO(ica/Ideale Audience Int.)1972/12/12ロイヤルフェスティバルホールlive(10/12?、10/18?)・DVD/BD

同曲の映像は貴重だろう。例え事故が多く録音バランスもカメラのスイッチングも良くなかったとしても。最晩年のボールトが矍鑠と、長い指揮棒でわりと細かいことをせずに、大きくリズムを割っていくさまは、それが楽団に落とされるとき威厳と鈍重の表裏をよく表している。ヴォーン・ウィリアムズ後期のオーケストレーション、裏でうごめく内声や突然喚くブラスにわけわからなさを感じていたに違いない、と一楽章の凝縮力のないアンサンブル(曲のせいもあるのだ!)や二楽章のまったく野暮ったいテンポや響きに想いを馳せる。一方、三楽章のような横の流れで聴かせるところ、一楽章での木管と弦による緩徐主題の美しい流れはさすが、低音部をしっかり響かせながら感傷的に聴かせる。まあ、一楽章、三楽章ともいささかさっさと早すぎるところがあり、ボールトが普通の指揮者のようにどんどん遅くなっていく「衰える指揮者」ではなかったというドキュメントにもなっている。冒頭から音程に不安もあり、楽団は音色はいいのだが不安定さもはらみ、見た目も結構堅く、それはなんとなくドガジャンで始まる四楽章でも不安を残す。素直でない晩年RVWの書法はボールトには余り好みではなかったのではないかとも想像される。適切な響きは出ているが今ひとつワクワク感がない。ラストはさすがに華やかに盛り上がるが。。ボールト得意の「ヨブ」とのカップリング。むしろヨブがメインというのは面白い。

なお、inta glioのCDならびにica直販DVDの記載データは10/12、Ideale Audience Int.がEMIアーカイブDVDを集成してBD化した中(弦楽器篇)に収録されている映像は10/18というデータが付記されているが、いずれも同じものであるとのこと。
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☆伊福部昭:リトミカ・オスティナータ(初版)

2016年08月27日 | その他古典等
○金井裕(P)上田仁指揮東京交響楽団(universal/TBS)1961/10/9初演live・CD

何かに似ているがその何かがわからない、まさに存在しないものの模倣品である。リズムと軽い音響はアメリカアカデミズムのコープランドらを彷彿とさせるが描いている色彩が違う。われわれにはもっと身近な音楽だ。遡ってプロコやストラヴィンスキーの影響を口にするのは野暮というものだろう。演奏はびっくりするほど達者でこなれている。ブラスがなかなかがんばってるしアンサンブルもしっかりしていてリズムがあまり乱れない。リズムといえば伊福部マーチが依然存在していた初版なわけだが、ゴジラのテーマとされるものは音が同じだけでリズムは違うしみぢかい。でもこのへんのかっこよさはアメリカの舞踏音楽にも無い深みと親しみやすさがあるし削った理由は不明だ。総じて伊福部昭シラネ世代にもアピールしうる曲に演奏です。
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